Vol. 14 「途上国で直面した貧困という課題。経済からアプローチしてその解決に日々取り組む」

CATEGORY : 国際機関
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国際通貨基金(IMF)アジア太平洋地域事務所(OAP) 所長
石井 詳悟

1981年にIMFに着任後、タイ駐在上級代表をはじめ、マレーシア、シンガポール及びベトナムのIMF代表団を率いたほか、アジア太平洋局ならびに政策企画審査局(現戦略政策審査局) や金融為替局 (現 金融資本市場局)の要職を歴任した。また、1989年から92年までは日本輸出入銀行 (現 国際協力銀行)で参事役を務めた。南山大学経済学部、 同大学院修士課程を経て、オレゴン大学で博士号を取得。

【2012年3月19日公開】

初めて直面した貧困の世界

海外に興味を持ち始めたのはいつですか。またどのような学生生活を送っていましたか。
私が通っていた南山大学で、外国人留学生との交流活動を盛んに行っていたことがきっかけです。私が学生だった当時、出身地の名古屋で大学を卒業したら、そのまま名古屋の企業に勤める、というコースが一般的でした。しかし、私の場合は大学で留学生と交流する機会が増えるにつれ、海外への興味が増していきました。学部生時代に海外留学をしたかったのですが、当時は1ドル=365円の時代で留学は大変難しかったのです。経済学で学位を取得した後も研究を継続するために、大学院に入学しました。当時、経済発展に関する研究は、アメリカやイギリスが進んでいたため、大学院で使用するテキストは英語の原著を和訳したものがほとんどでした。翻訳版テキストを使って勉強するうちに、なぜ自分は日本で勉強しているんだという疑問を持つようになりました。そして、最先端の研究が行われているアメリカで勉強したいという希望が次第に強くなっていきました。幸いなことに、奨学金を受けてアメリカで学べることになりましたが、1年間という短い期間でした。アメリカでの勉学を続けたいと思い、留学期間が終了に近づくころ、奨学金を提供してくれる機関を探して、その先も留学を続けることができたのです。
IMFに就職した経緯について教えてください。
大学院生だった当時は、正直国際金融機関にはあまり興味がなかったです。ただビザの取得が非常に難しい時代でしたので、金銭的な理由以外でも留学後にアメリカに残るのは困難でした。そのときに、IMFや世界銀行のような国際機関にはビザの問題がないということを知りました。つまり、合格さえすればそこで勤務できるのです。そうした理由から国際機関に興味を持ちました。それでは、どうしてIMFを選んだのかと言うと、1980年代初頭のIMFは今とは異なり、経済研究と実務に関する仕事がほぼ半分ずつくらいあったからです。IMFには国際経済と金融分野の研究者がたくさんいましたし、IMFから多くの論文が提出され、最先端の研究が行われていたのです。私は研究と実務の両方に関心があったため、その希望が叶うと思いました。実際入ってみると、ラテン地域に債務危機が発生しました。その後も多くの途上国が国際収支問題を抱えるようになり、IMFの仕事がだんだんと融資に関係した実務に移行していきました。
国際金融機関で実際に働くようになって、石井さんご自身に何か変化はありましたか。
世界には貧困に苦しむ多くの人々が存在するということを認識したことです。実務として、私が最初に担当したのはバングラデシュでした。各国からの援助や国際機関からの融資を頼りにしている非常に貧しい国です。現地に出張し、バングラデシュの政策担当者と協議したとき、初めは大学院での研究とはまったく異なる世界であると感じました。IMFでは加盟国への経済調査団を通常ミッションと呼んでいます。ミッションは5~6人のエコノミストで構成され、当該国の政策担当者と議論を繰り返し、課題を分析し政策提言を行います。それまでは日本とアメリカの経済だけを研究していたので、貧困に対する知識はほとんどありませんでした。バングラデシュは当時洪水の影響で食糧危機が深刻でした。餓死者も多い現場に突然出張したわけです。非常にショックでしたね。自分は日本に生まれてよかったと気づくと同時に、貧困にあえぐ人々を可能な限り救いたいという思いが募りました。それには、ただお金を渡すということだけではいけません。経済面の政策提言を行うことで、当該国が少ない資源で経済成長を遂げられるようにしなければなりません。バングラデシュに赴任した後は、世界中に貧しい人々がいることを常に意識するようになりました。

人々の生活に影響を与える仕事だから責任も大きい

バングラデシュ勤務の後はどのようなキャリアを歩まれましたか。
その後は中国、ネパール、ベトナムを担当したのですが、大体同じような仕事内容です。1997年にタイを中心にアジア危機が起きましたね。その際タイの危機対応にあたるチームの一員に加わりました。調整プログラムを作るなどして、本当に夜寝る暇もないほど働きました。そのあとバンコクに2年間ほど駐在員として勤務しました。実際に政策担当者と協議し、政策提言することが実は各国に大きな影響を与えるんですね。特にIMFの融資を受ける国はIMFの条件を実行しない融資が実施されないので、交渉を経て政策提言を受けます。政策提言はその国の人々の生活に大きな影響を与えますので、我々はその責任を自覚しながら行わないといけません。振り返ってみたときにそれが常に正しかったというわけにはいきませんが、その場ではできる限りの努力をし、適切な政策を提言していくことが必要です。それがやはり一番やりがいがあるところであり、大学では経験できないことですね。非常に大きな責任が伴う仕事です。
政策提言というのはどのようなプロセスで行われるのですか。
ミッションチームはだいたい5,6人で、財政、金融、国際収支、実態経済などの分野をそれぞれ担当し、Mission Chiefがチームの仕事を統括します。調整プログラムを作るときですと、まずお互いに連携を取りながら、現地に行く前にできる限りの情報を集めて分析をします。そしてどのような問題・課題があるのかを洗い出し、それに対してどのような政策が必要なのかをチーム内で議論し、それらをまとめたものを持って現地に向かいます。現地では政府機関や銀行、民間それぞれから意見を聞き、具体的にどのような政策が適切なのかをさらに議論したうえで、調整プログラムを交渉します。調整プログラムの内容はPress Statementとしてウェブ上に公表されます。

英語のライティング力とディベート力を磨いた留学時代

グローバルに活躍するためにはどのような能力が必要だとお考えですか。

スピーチする石井さん

まずは英語力。特に書くことが大事です。それからディベートができるということですね。日本人は授業でも質問しませんし、こういう質問をするとまずいのではないかと恐れるんですね。一方で私がアメリカの大学で教えていたときは、学生から質問がたくさん来ましたし、彼らはまったく恥じません。自分がわからなかったら質問すればいいんですよ。その傾向は国際会議でも出てきます。日本人を含めアジアの人はなかなか質問しません。会議で発言しないと、国際的な舞台では何も考えがないと見なされてしまいます。ディベートは、日本語でも練習することを勧めます。学生なら授業中に質問をすることが第一ですね。英語で話す機会を作るのも大切です。英語の新聞や雑誌を読むこともお薦めします。今はケーブルテレビで英語のチャンネルも見られますので、ニュースをできるだけ英語で聞いて理解するというようなアプローチが必要だと思います。私は大学院の留学時代は、TAをしていましたが、当時は授業料が無料になったばかりでなく、学生とのやり取りで自然に英語の練習になりましたのでお薦めします。
世界を舞台に活躍したい学生に向けて最後にメッセージをお願いします。
グローバルに活躍するためには、異なる文化、社会制度の中で育った人たちと対話ができるということが一番大事だと思いますね。当然その中に英語力が出てきますし、外交技術も大事です。自分が思っていることを言うと同時に、相手が言っていることを理解することも重要ですね。あとは常に世界に目を向けて、優れている点を見出して、学んでいくというのがグローバルな人だと思います。学生にとってはやはり世界を歩いてみることだと思うんですよ。実際に自分で世界を見てもらいたいですね。
国際通貨基金(IMF)アジア太平洋地域事務所(OAP)のホームページ
http://www.imf.org/external/oap/jpn/indexj.htm
編集後記

今回のインタビューを通じて、一口に国際金融機関と言っても、IMFではエコノミスト以外に、半数が様々な分野の専門職や一般職の職員であると知り、IMFを目指す人には多くの可能性が開かれていると感じました。しかし、日本人スタッフをはじめ、アジアのスタッフはまだまだ少ないのが現状です。石井さんも、国際機関に興味をもつ若者が減ってきていると感じているそうで、IMFに興味がある学生の力になりたいともおっしゃっていました。進路選択に限ったことではありませんが、難しそうだからと最初から諦めるのではなく、自分にできることからやっていくことが大事だと思いました。「人の何倍も努力すればなんとかなる」という石井さんの言葉がとても心に残りました。

陸 欣(国際教養学部4年)