Vol. 15 「夢を叶えるためにはまず自分を知ること。目標に向かって突き進むハングリー精神を持とう」

CATEGORY : 政府機関
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在日本米国大使館政治部一等書記官
アンドリュー・ハク・オウ

1973年、韓国ソウルで生まれる。ケニアのナイロビにて高等教育を修了後、外交官を目指し、ジョージタウン大学に進学。卒業後、日本政府および日本の教育機関にて4年間勤務。ハワイ大学および東西センターで韓国における日本の植民地支配を研究し、01年に修士号を取得。早稲田大学(93-94年)およびソウル大学(00年)でも学び、日本語および韓国語を話す。01年に米国国務省に入省。在ジャマイカ大使館、在香港領事館、本省の朝鮮部(韓国担当)に勤務後、在京大使館へ。ベーカー・加藤国際交流プログラムの米国側代表として、09年の夏まで日本の外務省で政務に就いた後、現職。

【2012年4月11日公開】

「交渉」、「政治」、そして「さまざまな文化」。3つの要素を含む職業は外交官だった

学生時代からさまざまな文化に接してきたと思いますが、どのような学生でしたか。
学生時代は勉強に集中していました。父の仕事の関係で高校はアフリカのケニアだったんですよ。小さな学校で全学年あわせても200人くらいしかいませんでした。ケニアはすごく自由で美しい国です。とにかく自然がきれいなところでしたね。だから自然の中で生きる一人の人間としての意識が非常に強くなった気がして、人間的に成長した時期でもありましたし、物事を考える視野が広くなりました。アメリカに行ってからも、自分は他のアメリカ人とは違うなと気づくことが多々ありました。ケニアではあまり競争が激しくなかったので、ワシントンD.C.のジョージタウン大学に入学したときは、周りの友達がみんな頭がよくてびっくりしました。これは頑張らないといけないなあと思いましたね。ジョージタウン大学を選んだ理由は、国際政治と外交に強いというのを知っていたからです。アメリカでは成績がよくないと就職できないので、とにかく一生懸命勉強しました。とても充実していて、悔いのない学生生活だったと思います。
外交官になりたいと思ったのはいつ頃でしたか。
高校3年生のときです。やはりアフリカにいたときの影響が大きかったと思いますね。ケニアのナイロビの学校では、いろいろな国の学生が集まっていたのですごく国際的でした。他の文化の人と交流するのはおもしろいなと思い始めたときでもありましたね。模擬国連に関連する授業があって、それもすごく刺激的で、交渉したり国際的な課題に取り組んだりするのもおもしろいと思いました。海外に住むことや旅行することも個人的に好きだったので、交渉と政治、様々な文化、これら全ての要素が入っている職業は何だろうと考えていたら、外交官かなと思いました。国籍はアメリカですが、韓国で生まれ育ったことも大きな要因だと思います。普通の韓国人とも違いますし、普通のアメリカ人とも違いますので、生まれたときから文化が混ざったようなアイデンティティーでした。これは一生自分に影響してくると思いますね。
外交官になるためにどのような勉強をされていましたか。
高校生の時は外交官がどのような仕事をしているのか全然知らなかったですね。でもなんとなく国際政治や国際法、歴史、外国語は大事で、将来必要だと思っていました。そして実際、大学卒業後、大学院で歴史を勉強しました。東アジア専門の外交官になりたいと思っていましたので。そのために日本と韓国、中国の歴史と政治を全部勉強しましたね。ジョージタウン大学にいた時も早稲田大学に留学した時も、東アジア関連の勉強が中心でした。むしろそのコースがあるからジョージタウン大学を選んだのだと思います。僕は目標を設定するのが好きということもありますが、小さな目標を一つひとつ達成し、大きな目標をつかむということは、外交官になることに限らず、夢をつかむためには大事なことだと思います。

多岐にわたる外交官の業務

日本に駐在する前はどのようなお仕事をされていましたか。
ジャマイカと香港に駐在していたころは、領事部で仕事をしていました。アメリカ国務省では、入省後新人のうちに領事の仕事をしないといけないんですね。領事部の主な仕事は、ビザの発行やアメリカ国外にいるアメリカ国民のお手伝いです。例えばジャマイカにいたときは、毎月刑務所に行って服役中のアメリカ人の面倒を見ました。しっかり栄養を取れているのか確認し、リクエストがあったら対応するといった仕事でした。香港のときは、親族がいない遺体の引き取りをやったこともあります。これらの仕事は、その後の外交官業務を行ううえで非常に重要な経験となりました。アメリカ国外にいるアメリカ国民を守ること、これは外交官や国務省在外大使館がやらなければならない仕事の基本だと思います。自分の中で、こうした意識が芽生えたことが大きなポイントです。専門は政治なので、このような仕事は二度としないと思いますが、外交官として、こうした意識を忘れてはいけないと思います。僕は外交官の仕事をとても誇りに思っています。
東アジア専門の外交官、特に日本で働きたいと思った理由は何ですか。
父が日本で生まれ育ったので、よく夏休みに日本に遊びに来る機会がありました。それで大学に入学してからは東アジアのことを勉強したいと考えて、父のルーツから日本に辿りついたわけです。日本のことは好きですし、若い時からなんとなく日本の文化の方が自分に合っていると思っていました。それまでは歌を聴いたりテレビを見たりして日本語を耳にすることもあったのですが、大学1年生が終わった後の夏休みから本格的に日本語を勉強し始めました。日本語のクラスを履修したとき、一回目の授業から楽しくて仕方がなかったのです。そういうこともあって、日本に行こうと決め、早稲田大学に一年間留学しました。外交官になってからも日本に駐在したいと考えていたんですよ。それで、実際に来ることができたのだから、僕と日本の間には縁があるんだと思います。
一等書記官というのは具体的にどのような仕事をするのですか。
一等書記官の仕事は大使館によって異なっていて、私の同僚の中には日米安全保障を担当している人もいればアジア地域を担当している人もいます。私が所属する政治部の一等書記官の仕事は、端的に言えば、現場(日本)でさまざまな情報を収集し、それを本国の政策決定者に報告することです。具体的には、日本の外務省の自分と同レベルの官僚との打合せや、日本の国会議員との会話などから、日本政府が本音の部分で何を考えているのかを把握し、それをアメリカ政府に向けて正しくレポートします。
特に印象に残っている仕事は何でしょうか。

日本に来て3年半になりますが、学生のときに名前を聞いたことがある人物やニュースに出てくる人物に実際に会うことができるのは刺激になります。世界の方向性を決めていくような人物ばかりですからね。以前、ワシントンD.C.にあるアメリカ法務省で仕事をしていたとき、ちょうど韓国のパク・チョンヒ元大統領のご息女で、大統領候補でもあるパク・クネ議員がアメリカを訪問していて、ライス国務長官(当時)と対面しました。その時僕の上司は都合が悪くて行けなかったので、代わりに僕がその会議に出ることになったのです。歴史の本に出てくるような人物が目の前にいたので、業務上ノートを取らなければならないのに、ずっと聴き入ってしまいましたね。現在、日本人の方々と交渉するときも、政策や日々の問題に何か進展があると、すごくモチベーションが上がります。例えば、日本の国会議員にアメリカの政策に関する新しい情報を提供することができたときや、僕が彼らからアメリカ政府や日米関係全体にとって有意義な情報を得ることができたときなどです。しかし、僕が最もやりがいを感じるのは、オフィスの外で日本人と信頼関係を構築して、お互いの国について学ぶときです。僕にとっては、それが本当の外交なのかもしれませんね。

いつまでもチャレンジ精神を忘れないでいたい

これからお仕事の中でチャレンジしたいことは何ですか。
この仕事の一番おもしろいところは、仕事が終わらないということです。毎日必ずやることがあります。例えばジャマイカでビザを発行していた時ですが、休日にサーフィンをしに田舎に行くときがありました。アメリカの外交官の車はナンバーですぐに分かりますので、その時にいろいろな批判の声を浴びたというような経験をしました。彼らの頭の中のアメリカのイメージを変えないといけないと思いましたし、アメリカの代表としてそういう責任をもつのが我々なんですね。だから今毎日日米関係に関わることができることにとてもやりがいを感じています。夢としては、大きく環境を変えたいと思っています。僕は韓国と日本の二つの国と特別な関係があるので、この二つの国とアメリカとの関係がより良くなるように貢献したいですね。それぞれが異なる分野でお互いに助けることができると思うんです。
外交官としてのお仕事の上で、毎日欠かさずにやっていることはありますか。
外交官に限らないかと思いますが、いかに情報を得るかが一番大事です。情報が自分のところに入ってくるのは「得」です。誰よりも早く自分が情報を得るとことができると、それは「有利」になります。そして自分だけが知っている情報があれば、「立場が上がる」ことになります。だから、自分でも無意識のうちにさまざまなところから情報を取り入れようとしていますね。ニュースでも電話でもそうですし、人と話をしていても実は情報を得ようとしているのかもしれませんね。今は日本とアメリカの情報に集中していますが、在韓国アメリカ大使館が出すレポートや電報を読むこともあります。それと、次は中国に駐在することが決まっていますので、中国の情報も入手しようとしています。とにかく僕は欲張りで、全部を知りたいんです。また、外交には政治だけではなく、あらゆる分野が含まれていますので、さまざまな分野の知識を得るために日々活動しています。これは外交官以外の仕事にも共通して言える、どの分野でもエキスパートになるための要素だと思いますよ。
ものごとがうまくいかないときは、どのように立ち直るのですか。

同僚とカフェテリアにて

高校の時に夢見ていた外交官になるということが遠のいたような時期もありました。そのときは、日本に住んでいたので、仲のよい日本人の友達に相談して、すごく助けられたのを覚えています。みんな同じような年齢で、みんなそれぞれ夢を持っていたので、話をすることでとても気が楽になりましたね。スランプに陥ったときは、自分はまだまだ未熟な存在だ、ということをまず素直に認めることですよね。自分を過度に責めないほうがいいです。それから友達と話したり、スポーツや趣味に没頭したりしながら、我慢して待つことですよね。僕の場合は、1カ月くらいすると、やらなければならないことが自然に見えてきましたね。最初の一歩は小さくてもかまいません。一歩踏み出すことで物事も、そして自分も変わっていけます。学生のみなさんも将来を不安に感じることが多いでしょう。そんなときは仲間と話し、目の前の一歩から踏み出してみてください。
アンドリューさんのように、夢を掴み取るためには何が大事だと思いますか。
一番大事なのはやはりself-awareness(自己認識)だと思います。自分がどういう人で、何をしたいのか、朝起きるときに何が一番自分をウキウキさせるのか、こういう意識ですよね。それが分からないと幸せにならないし、夢も叶えられないと思います。それが分かるようになる時期は人それぞれですが、分からないうちはいろいろな経験をして、探そうとする努力が重要です。それから大事なのは、失敗しても次のチャレンジに進むことだと思います。僕は一時期政治家になろうかなと思っていました。その仕事の実態がよく分からなかったので、大学2年の夏休みを利用してインターンシップをしたんですね。しかし、やってみるとこれは向いてないと思いました。行動を起こしたから、次のステップが見えたのです。目標を作って、それに向けて行動を起こしてみる、そしてそれに向けて努力をするということが大事ですね。夢を叶えるために何が必要なのかを考えて、毎日少しでも努力をすることですね。本当に実現したいのなら失敗してもトライしてみることだと思います。
最後に学生に向けてメッセージをお願いします。
若いうちにいろいろなチャレンジをしてほしいですね。とにかく思いついたことをやってみることです。将来何をやりたいか分からなかったら、海外に行ってみたり、日本のどこか行ったことがない場所に行ったりするのもいいと思います。どこからインスピレーションが来るか分かりませんからね。僕は日本の田舎に行くのが大好きで、いろいろなヒントが待っている気がします。日本の中にもいろいろな素晴らしいものがあるということを忘れないでほしいですね。もちろん海外に行くのもいい経験になります。特に海外に行くと自分の国について分かるようになりますし、自分のこともよく分かるようになります。刺激を受けて、自分の強さと弱点が見えてきますよ。学生のみなさんは表に出さなくてもハングリー精神を持っているはずですから、自分の小さな輪の中だけではなく、もっと広い世界が待っていますので、それを見てほしいですね。
編集後記

どこまでもポジティブで、前向きなアンドリューさんからはたくさんのパワーをいただき、私も頑張ろうという気持ちになりました。今度は中国に行くから近々中国語の勉強を始めると、新しい環境でのお仕事をとても楽しみにしているそうです。外交官というとなんとなく華やかなイメージがありますが、具体的にどのような仕事をしているのか正直知りませんでした。今回のインタビューを通じて、外交官としての使命や思いというものを伺うことができ、大変感銘を受けました。常に夢や目標を持ち続けることは簡単のようで難しいことだと思いますが、大事なのはそれに向かって少しずつ努力するということをしっかりと心に留めておきたいと思いました。

陸 欣(国際教養学部4年)