Vol. 20 「自分が持つ目標に向けて、ただがむしゃらに努力を重ねた。その努力がツキをも呼び寄せる」

CATEGORY : 民間企業
murakami-san

株式会社 村上憲郎事務所 代表取締役
(元Google 米国本社 副社長)
村上 憲郎

京都大学工学部卒業後、日立電子株式会社、Digital Equipment Corporation(DEC)Japanを経て、Northern Telecom Japan社長兼最高経営責任者に就任。2001年に Docent の日本法人である Docent Japan を設立。2003年4月、Google 米国本社 副社長兼 Google Japan 代表取締役社長として Google に入社。2009年1月名誉会長に就任、2011年1月に退任し、村上憲郎事務所を開設。国際大学GLOCOM主幹研究員・教授。慶應義塾大学大学院特別招聘教授。大阪工業大学客員教授。会津大学参与。

【2012年10月12日公開】

私はガリ勉なんですよね。その努力がツキを呼び寄せたんだと思う

どのような学生生活を送られましたか? また、村上さんの専門分野であるITの能力はどこで身に付けられましたか?
  学生時代は学生運動が盛んな頃で、私もその活動に参加していました。また、同時に映画もよく観ていたのですが、当時公開された「2001年宇宙の旅」という映画に、人工知能:AI(Artificial Intelligence)型のコンピューターが登場しました。それまで知っていたような単純な操作しかできないコンピューターではなく、自意識を持ったコンピューターみたいなものだなという程度の認識ではありましたが、すごく惹かれましたね。また、大学は学生が占拠してましたので、コンピューター室は使い放題でした。参考書を買い、自習しながら、富士通のファコムというマシンを見様見真似で使っていました。そこで得たコンピューターの技術はほとんど初歩的なものでしたが、就職には役に立ちました。学生運動による逮捕歴ありだったので、縁故を頼って仕事を探していた時に、面接でコンピューターができると言うと、日立グループの日立電子というミニコンピューターの会社に入れてもらえたんです。日立に入ってからは猛烈に働いて、月の残業時間が200時間にもなるほどでした。ほとんど家には寝に帰るだけ。さらにひどい時はそのまま会社で寝たりもしていました。でもそこで、コンピューターの初歩から本格的に全て学ぶことができました。コンピューターがどうやって動くのか、ワンステップワンステップ全て分かるミニコンの会社に入ったことは本当にツいていましたね。
外資系企業であるDECに転職したことが、グローバルに活躍するきっかけになったかと思いますが、その経緯について詳しく教えて下さい。
  無計画な男なので、英語がしゃべれないのに、日立がミニコンの事業から撤退したことをきっかけにミニコンの世界的なトップだったDECへの転職を決意しました。当時のDECはすごい会社で、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブス、エリック・シュミット達は全員、DECのマシンを使って育ったんです。転社に当たり、自分の視野を技術以外の部分にも広げたいと思い、また当時「男を磨くのは営業だ」というキャッチコピーの本を読んで(笑)、営業職への転職を決意しました。ただ、DECに入ってから言葉(英語)が通じないと気づきました。後の祭りでしたが、会社には英語ができるだけという人もいて、その人達を見返してやろうという思いもあり、英語を必死に勉強し始めました。それが後に色々なチャンスに繋がるきっかけになりました。仕事をしっかりとこなしながらも1日3時間の英語の勉強を3年間欠かさずやったおかげで、4年目くらいにはオーストラリアで最初の海外講演ができるぐらいにまでなりました。
その後、DECの米国本社へ移られるのですが、そのきっかけを教えていただけますか?
  当時、米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)は人工知能のプロジェクトに積極的に取り組んでいました。DECに入って分かったんですが、DECのコンピューターが米国防総省の予算の受け皿で、人工知能の研究に使われていたんですね。これは非常に運が良かった。また日本でも、通産省が第5世代コンピュータープロジェクトという人工知能に関わるプロジェクトを始め、こちらでも人工知能の研究はDECのマシンを使うしかないということでした。外資系企業の良いところで、やりたいといった人は挑戦させてもらえる環境だったので、僕が手を挙げてその担当になったんです。そのプロジェクトがきっかけで、コンピューターもたくさん買ってもらいました。また、人工知能について海外の論文を読み漁りました。そうこうしていたらミスターAI(Artificial Intelligence)と呼ばれるようになってたんですね。また、第5世代プロジェクトでたくさんコンピューターを売った以外にも、他のプロジェクトで人工知能を応用した製品を民間企業に売ったんです。アメリカでも研究目的のものとして扱われていた人工知能を民間企業へのビジネスと成し遂げたため、本社から「アメリカに来い」と言われました。私は終身雇用は信じていないですし、会社はいい意味で踏み台と思っています。日本DECで学ぶものはもうないけど、アメリカで仕事するということは獲得するべきキャリアだと思って、無謀にも本社に行くことにしました。1968年に「2001年宇宙の旅」を観て、人工知能を作りたいと思い、結果的にその目標に沿ったキャリアを歩めたのは本当にツいていますね。私は業界では”ツキの村上”として有名なんですよ(笑)しかも、その人工知能に関する知識を持っていたから最終的に、Googleにも誘われたんです。
村上さんはツキを呼び寄せる力があるのですね。
  結局、私はガリ勉なんですよ。ツキというか、私はこの後何が流行るか分かるんです。20代から30代の時は、年間200冊位の本を読んでいました。それで分かるようになったんだろうなと思いますね。というのも自分が他の人と比べて特別何かやったのはそれくらいですからね。また、元々要領がいいんです。第5世代プロジェクトに入ったときは、海外から送ってもらったダンボールいっぱいの人工知能の学術文献を読んだと伝説になっていますが、3分の1を読んだ後はたいてい同じことばかり書いてあるから読んでないとかね(笑) 学校できちんと人工知能を学び、しっかりと学位を取ったという先生からすれば、付け焼刃といわれると思いますが、そのような方法で、素早く自分の知識とすることに長けていました。それで、私は自分を生まれつきのマーケッターだと思うんです。自分で自分が素早く習熟した分野を流行らせてしまう。DECへの転職とか無鉄砲だったというのは、結果的にはいくつかはツイていたと言えますが、全部が単なるツキではないですね。例えば、今自分はどんな話題を振られても、それについて、何か話せますよ。Frame of reference(物事を考えるための枠組)が頭の中に構築されているんです。図書館司書みたいなものです。これも大量の本を読んだからだと思います。そして、なぜそんなに本を読んだかといえば、それは、この宇宙の森羅万象を知り尽くしたいという欲求があるからです。宇宙の真理に触れたいということですね。そのような努力がツキを呼び寄せるんだと思います。

米国エリートは日本人が持たない「絶対的」な価値軸を持つ。それがあるから彼らは強い

DEC米国本社で米国のエリートである人たちと仕事をされて、どのような印象を持ちましたか?
  米国のエリートは、日本人が持たない価値軸を持っていますね。例えば、日本では、よい大学を出て、日立に入った人は当時英雄だったんですよ。そこで、例えば、日立をリストラ、または、他の会社に行くということになると大事件なんです。法事には行けなくなるし、ひどい時は、かみさんにも言えない。田舎ではヒーローは嫉妬と羨望の的なんですよね。つまり、日本人の中には、仕事や地位などで人を測る価値観が強すぎるほどあるんですよね。一昔前の日本の女性の理想の結婚相手は、三高(高収入、高学歴、高身長)の男であったように、日本人は給料が高いことで人格的に優れていると思い込んでいたり、背が高いとか学歴とかで人格を測ろうとしたりする。逆に米国エリートは人格とは神様が判定するものという価値観を持っている。それがあるから最終的にただの高収入、高学歴、高身長などに満足せず、逆に、低収入、低学歴、低身長にも、めげません。強いんです。成功している人は、それだけでは神様のおぼえが良いという保障はないので、社会貢献しようという気持ちを持つという点が米国のエリートにはあると言えると思いますね。
アメリカのエリートの社会貢献、いわゆるNoblesse oblige(高貴なる者の義務)はどのように作られるのでしょうか?
  一神教の人達は本音で言うと、神様はいないかもしれないと思っている。もちろんそんなことは絶対に口に出して言いませんが。でも、逆にもしかしたらいるかもしれないとも思っているんです。その場合は、ちゃんとNoblesse obligeをやっておかなければならない。地上では大丈夫でも最後の審判があるかもしれないから保険をかけておくということです。また、アメリカの教育のプロセスでは、エリートの地位にある人がエリートとしての教育を受けているのは普通の学校の場合もありますが、ボーディングスクールが一般的なんです。全寮制で日本の中高に相当する教育をしていて、広大なキャンパスにほぼ全員が博士号を持った先生達も家族共々住んでいて、24時間常に面倒見てくれる。夜でも教えてもらえる。そういう環境でエリートとしてアメリカ社会からの期待を背負っているというようなことも教えてもらえる。哲学をちゃんと古典ギリシャ、ラテン語で読む。リベラルアーツのベースとして西洋哲学の流れを教えてもらえる。国を率いる人間としては人類史を見ておく必要がある。そのような環境からNoblesse obligeが出てくるんです。もともとはヨーロッパの貴族社会で、特にイギリスにそういう考えが強いですよね。今、イギリスの王子様はアフガニスタンでパイロットをしています。また、将校は本来、貴族階級です。そして、将校の死傷率は、英国が最も高い。こういうのがNoblesse obligeを体現している証拠だと思います。
DEC米国本社から日本へ帰ったときはどのようにお考えだったのですか?

  DECの米国本社において、VP(Vice President)への出世は難しいと思っていました。僕は38でアメリカに行って、42で帰ってくるのですが、42歳でMBAは持っていないし、VPでもない。また、英語が相変わらず下手でした。1対1の会話なら良いのですが、会議でみんなが一斉にしゃべって混乱してついていけなくなったら、“ノリオ・タイム”というのをやっていました。「ちょっとここで会議ストップ!賛成の人は誰で、反対の人は誰? オッケー。じゃあ会議再開」みたいな(笑) つまり、本社で今言ったようなエリートの人たちと競うと、最後に退職のはなむけとしてVPになれたかもしれないけど、それが限界だろうと。ツキの村上だけど、天下の形成も見ていたんです。一方で、日本DECに帰れば社長になれるなと思いました。日本DECでは上から数えて5指に入るくらいの英語の上手さでしたしね。
その後、様々な外資系企業のマネジメントを行い、2003年にGoogleに参加されたのですね。
  僕が入社したとき、Google日本法人は10人くらいの会社でした。さすがにここまですごい企業になるとは予想できませんでしたね。会社の受付は他のベンチャー企業と共有で、会議室も予約しないと使えない。オフィスのデスクだけが使えるという状態でした。日本法人の社長は弁護士の方が名前を貸していた状態で、僕の上司に当たる人が、米国本社から遠隔操作していました。ただ、私はむしろこういう小さい会社に勤めた方が良いと思っていました。将来の見通しと、サイズは関係ないんです。また、サラリーマンがお金を手に入れる方法は、Stock option(株式をあらかじめ決められた額で買える権利)しかないです。年俸を貯めたところで、老後の余裕ある生活なんかありえない。これからの年金についていえば、統計で絶対にかけ損ですと政府が言ってるんですから。もう頼ることなんかできないんです。だから、小さい会社の日本法人を任せてもらうのはよいキャリアだと思います。私がGoogleに選ばれた理由に人工知能に関わった仕事をしていたことがありますが、その頃には最新の技術にはついていけてなかったです。でも、CEOのエリック・シュミットが僕を雇うときに、「俺も最先端の技術はわからないけど、お前は分かったふりができる」ということを言っていました。当時、Googleでは、特定の分野では世界一というような人材がいました。ただ、たとえそのような優秀な人材に囲まれている中でも、自分がコードを書くわけではないので、洞察力があれば良いんです。僕がエリックに会う前にGoogleの社員10人ぐらいから面接を受けていて、エリックにはその面接官たちからのフィードバックで、こいつは俄か勉強したことを大昔から全部知っていたように話すやつだと判っていたんでしょう。若い優秀な人達は上司が何も知らないとどうしても馬鹿にするんですが、人工知能、コンピューターに関して黎明期から仕事していたということになると、なんとなくできそうと思ってもらえるんです。仕事としては、アメリカ本社のVPと言うポジションもFor Japanという役職だったので、やっぱりブリッジ役ということですね。

人類は英語がしゃべれる人としゃべれない人に分かれる。決して遅いということはないから海外に行け

外資系日本法人と日本企業のマネジメント職では、求められる能力は違いますか? 村上さん自身はご自分をどのような経営者とお考えですか。
  求められる能力は変わらないと思います。ただ、アメリカではCEOが下から上がる例はないです。それまでがだめだから経営者を変えるんです。そこで、下から調整役を連れてきてもうまくいく訳ないですよね。自分で自分を経営者として見たとき、そんなに立派なリーダーだとは思いません。もともと、エバれない性格なんです。また、いわゆる人脈作りも嫌いです。人脈作りは相手を手段・道具としてみている。それは失礼極まりないです。人脈作りが役に立たないということではなく、手段としてやるところが嫌なんです。自分のやることは、チームと苦労を共にする、助けを必要としている人には手を差し伸べるということです。ただ、気をつけている点として、嘘は言わないです。会社に入ると、最初に、「終身雇用はないです。みなさんが終身雇用される力をつけてください。会社は、その手伝いは、できるだけします」と言っています。世界の情勢、会社のミスなど色々な要因がありますから、どんなに優秀な人に対してでも、終身雇用なんか保証できませんよね。
日本・世界の学歴主義・大学教育についてどのようにお考えですか?
  最近、田村耕太郎さんや僕がこの問題を正面から取り上げ始めて、日本でも海外の大学教育に注目が集まっています。田村さんはインドの大学も良いと言っていて、私はそこでどのようなことが学べるか把握していませんが、でもインド人の英語の方が我々よりも通じるじゃないかというのは事実です。もはや、日本語で高等教育を受けても無駄だと思います。また、世界では学歴は非常に重要で、実際Googleはあるレベル以下の大学からは採用しません。皆さんは、早稲田を出た後、更なる高等教育を受けるかどうか迷うところだと思います。確かにアメリカのエリート学生は、飛び級制度で20歳位で学士号を取得したりするので、彼らと同じスピードで競争するのは難しいです。でも日本人の皆さんは彼らに比べて、10歳は若く見られます。また、グローバリゼーションというのはアメリカナイゼーションなんですよ。つまり、これからは会社の採用のときに年齢を聞けないんです。アメリカの判例でAge discrimination(年齢による差別)は禁止されているから、面接で年齢を聞かれて落とされたら、裁判で1億円もらえますよ。年齢が全く関係ないのは日本人にとって有利です。なるべく早いうちに海外に行った方がもちろん良いです。ただ、いったん社会に出てからでも遅すぎるということはありません。皆さんは35歳の時に25歳に見られる。つまり、自分の気持ち次第なんですよ。また、留学に行くとしたらどこがよいかといえば、学部では高いGPA(Grade Point Average)を稼いで、修士でなるべくいいところに行く。最初は二流校でもよいから、移っていく。最後にどこでMaster degree(修士号)を取るかが重要です。この話はもうかなり日本にも広まっていて、日本の富裕層に送られてくる雑誌があるんですが、そこにボーディングスクールの広告が多く出るようになりました。日本でも富裕層の人は、自分の子供をアメリカにひっそりと送り込んでいるんですよ。

最後に学生にアドバイスをお願いします。
  まず、英語がしゃべれなければ、20年後にまともな仕事はないと思う。人類は英語がしゃべれる人としゃべれない人に分かれるんです。当たり前ですが、会社で言葉の喋れないサルは雇わない。「猿の惑星:創世記」に出てくるシーザーの無念な立場を思い出すべきです。日本人が英語をしゃべれなかったらそれと同じことなんです。そういう時代が来ているんです。日本企業も問答無用でグローバル採用になると思います。例えば、学業成績が同じなら、英語がしゃべれない日本人より英語ができるベトナム人を雇いますよ。就職活動で日本人同士だけで競い合う時代は終わります。明治維新の後で帝国大学として始めた教育は、外国人教師を連れてきて外国語で始めましたが、最終的には母国語で勉強できるようになった。世界最先端の学問まで母国語でできる。それが今は足かせになってきたんです。本当に危機的だと思います。僕自身の英語の勉強についても、田舎の秀才で上昇志向が強かったから30過ぎてからでもあんなに無理な勉強ができたんだと思います。年をとってからそれだけの苦労をするぐらいなら若いうちにアメリカに留学することをお勧めします。英語を勉強するのではなく、英語で勉強する。私はいまだに聴き取れないんです。でも、皆さんの年齢なら何とかなる。私は筋肉と言っているけど、聴力の周波数音域を広げるんです。要は筋トレと同じなんです。英語は日本語と同等までにはならないかもしれないけど、なるべく近づけるためにはすぐに海外に行ったほうがよいです。私は自分だったらどうするということしか言わないんです。もし、自分が今学生であればこのような選択をしますね。
編集後記

  自ら上昇志向があるという村上さんの情熱と、常にユーモアを伴って話す人柄を存分に感じた。インタビューが終わって最初の印象は「村上さんは、何か特別な秘訣があるわけでなく、とてつもない努力によってグローバルな活躍を成し遂げている」ということだった。世界で起こっていることを鋭く洞察するための読書。31歳から英語を始め、ビジネスレベルまでに持っていった努力。グローバルに活躍するためには、もちろん運や偶然の人とも出会いも必要かも知れないが、それすらも努力が呼び寄せるものだと感じた。また、自分の目標が見つかった際に、それに向かって努力を始めることに遅すぎるということはない。自分の気持ち次第で、自分が成し遂げたいことが、成せるかどうか変わってくるということを教えて頂いた。

大芝 竜敬(会計研究科2年)