Vol. 23 「チャンスが巡ってきたときに8割がたReadyでいること。そのための準備と勉強を」

CATEGORY : 民間企業
fukushima-san

G&S Global Advisors Inc.
代表取締役社長
橘 フクシマ 咲江

清泉女子大学文学部英文科卒業。ハーバード大学大学院教育学修士課程、スタンフォード大学大学院経営修士課程修了。べイン&カンパニーを経て、1991年から2010年までコーン・フェリー・インターナショナルで人財コンサルタント。その間、日本支社の社長、会長を務め、1995年から2007年まで米国本社取締役を兼務。2010年G&S Global Advisors Inc.を設立し代表取締役社長に就任。人財のグローバル競争力強化、企業のガバナンスに関するコンサルティングを行う。大手企業各社の社外取締役を歴任。2011年より経済同友会副代表幹事。人財・キャリア開発に関する執筆・講演多数。

【2013年2月25日公開】

今のキャリアはタイミングの良さと人との出会いがあったから

学生時代はどんなキャリアを思い描いていましたか?
実はあまりキャリア志向はなく、1,2年働いたら、結婚して家庭をもつであろうと思っていました。清泉女子大学に入学したのには、高校生の頃の先生がやんちゃだった私を見て、「清泉なら良いお嬢さんになれますよ」と薦めてくださったことも影響しました。
清泉には学生によって運営される自治会「学生会」があり、そこの外渉担当役員の選挙に立候補し、選ばれました。男女共学であれば男性がこうした役割をしたと思いますが、女子大は必然的に女性がリーダーシップを取る環境でした。その点は今の自分に少なからず影響を与えていると思います。
ターニングポイントはいつですか?
大学3年生で、日米学生会議に参加したときですね。日米学生会議とは、1934年から続いている歴史のある会議で、アメリカの学生約20人対日本の学生約20人で、政治・経済等のテーマについて議論するものです。毎年アメリカと日本で交互に開催されていて、私は1970年の夏にアメリカに行きました。生のアメリカを見て、自己表現の仕方の違いを体感するなどたくさんの刺激を受け、価値観が変化しました。特に当時はヒッピーの盛んなカウンターカルチャー(*)の時代でしたから、実に自由な雰囲気でした。
また、そこで今の夫である、グレン・S・フクシマに出会いました。夫は当時スタンフォードの学部学生。卒業とほぼ同時に23歳で結婚しました。夫は、「女性の能力を活用しないのは勿体ないので、仕事をしないことは考えられない、主婦などありえない」というような、女性が働くことに積極的な考えを持っていました。またいずれ学者になると言って、アメリカの大学院に行こうとしていたこともあり、経済的にも私が稼ぐ必要がありました。しかし、英語もできない、仕事の経験もない。そんな人間にアメリカで何ができるだろうと考えました。
そこで偶然、当時働いていた会社に来られたある大学の先生から「日本語を教えたらどうですか」とアドバイスをいただき、ICU(国際基督教大学)の大学院で日本語教育を学びました。そのプログラムの修了時に指導教官の先生に挨拶に伺い、夫がハーバード大学に行くことをご報告すると、「ハーバード大学で教えている教え子から今朝連絡があって、ハーバードで教えられる日本語の先生を紹介して欲しいということだけど、あなた行く?」と推薦していただけたのです。


*既存の文化や体制を否定し、それに敵対する文化。1960年代のアメリカで、最も盛り上がりをみせた。
すごいタイミングのよさですね。
そうなんです。そうして9月からハーバードで教え始めました。講師を始めたばかりの頃は、夫いわく、「世の中に私以上に不幸な人はいない」という顔をして歩いていたらしいです。自信がなかったし、楽しいと感じる余裕もなかった。
1年目が終了した時に学生が高い評価をしてくれたので、初めて少し自信が出て、教えることが楽しくなってきました。数年すると、これが天職だと思うようになりました。夫は学者になる予定で、大学教授の終身雇用の資格であるテニュアが取れるまでは、アメリカの各地の大学を州立大学も含め回ることが予測されましたので、私も州立大学で日本語講師として教えられるようにアメリカの大学の修士を取ろうと大学院に入りました。その間は、ハーバード大学が提供していた夜のエクステンション・コースで教えました。その学生が、一年目が終了した段階で継続して受講したいと大学に申請してくれて、初級、中級と同じ学生を教えるコースが毎年更新され、大学院卒業後、教壇に戻ってからも継続し、合計で4年ほど教えました。

「やってみなきゃわからないよ」― いつも背中を押してくれた

なぜコンサルティングの世界に入ったのですか?
当時は日本の経済成長が注目され、アメリカでも日本企業を脅威として意識し始めていました。そこで「ビジネスを全然知らないけど日本に詳しい人」と、「日本を全然知らないけれどビジネスには詳しいMBAのメインストリームのコンサルタント」を一緒に働かせ、お互いに学び合うようにしようというユニークなコンサルティング会社にヘッドハンティングされたのがきっかけです。6年も教えた日本語教育が天職だと思っていましたので、今までの投資を全て捨てることを決断するのにはだいぶ勇気が要りました。そのときに夫の「やってみなければわからないじゃない。咲江ならできるよ」という言葉に後押しされました。日本語教育の経験は全て捨てたつもりでしたが、意外にも、日本語教育で培った「説明する」ことはコンサルティングにも生かすことができ、無駄な経験はないと痛感しました。
コンサルティングは学ぶことも多く、大変楽しかったのですが、ビジネスの経験がないので全体像がつかめない。どうやったら一番短期間でビジネスのフレームワークを学べるか考えた時にMBAしかないと思ったんです。その時ちょうど夫がフルブライト奨学金をもらって東大で研究することになったので、一緒に日本に戻ることになったのですが、英語を忘れないように帰国してすぐにサイマルの同時通訳のコースで勉強を続けました。 2年後にアメリカに戻り、スタンフォードでMBAを取得しました。
その後勤められたコーン・フェリーではどうして入社4年で取締役になられたのですか?
ベイン・アンド・カンパニーを経て、1991年にコーン・フェリーに入社しました。2年半でパートナーに昇格したのですが、ある日突然、コーン・フェリーの創業者でありCEOでもあるリチャード・フェリーから電話があって、「君の名前が(取締役を決める候補の)トップ10に入っている。選ばれたら引き受けてくれる?」と言われたんです。まだ入って4年だったので会社のことは何も分からない。当然「できません」と言いました。が、リチャードはまたここで「君は自分が思っている以上にreadyだと思うよ」と言ってくれて。全然readyじゃなかったんですけどね。夫に相談したら、夫も「やったらいいじゃない。日本人でアメリカ企業の本社の取締役はなかなかできないと思うから、すごく貴重な経験じゃないの。やってみなきゃわからないよ」と背中を押してくれました。そして95年に選挙で選ばれて就任し、12年間務めました。当時はアジアで一番の売り上げを挙げていたことと、あまり政治的なことを考えずにパートナーミーティング等で発言していたことで選ばれたのだと思いますが、自分自身が引き受けようと決心したのは、業績を重視する会社だったことと、リチャードのような良いメンターに恵まれたことが大きかったと思います。当時はできるという自信がなかったので、本当によく働きました。
大学入学前のビジョンと結婚後の実際の生活にギャップがありますが、戸惑いは感じなかったのですか?
あまり感じませんでした。結婚したのが、23歳で大学卒業したばかりで若かったというのもあり、夫とは二人で一緒に成長してきたという感じでしたね。夫はアメリカ人ですが、日系3世で母親は日本人、日常生活では日本語を使っていました。一度私が「うそー!」と言うのを、夫が“liar”と言われたと思ってケンカになったことはありましたが(笑)
夫に対してとても感謝しているのは、いつも「新しいことにチャレンジしなさい」と言って励ましてくれたことです。それまでは当時のふつうの日本人女性と同様に、自分が前に出ないで夫のキャリアを支えるという価値観を持っていましたが、「やってみなきゃわからないじゃない」と言って、常に背中を押してくれ、私が取締役になったときは自分のことのように喜んでくれました。また、夫は自分の仕事で作ったネットワークを私にも紹介して、様々な会合に一緒に行こうと誘ってくれました。そうして私をミセス・フクシマではなく、咲江・フクシマとしてみていただけるようにポジショニングしてくれたんです。だから、戸惑いを感じることはあまりなかったです。本当に感謝しています。

いつも、8割がた“Ready”でいること

グローバル人材とはなんですか?

私は漢字で書く時、「人材」ではなく、「人財」の方を使っています。 10年以上前にその言葉を使い始めた当初は、みな「何それ?」といった感じでしたが、だいぶ浸透してきたことをうれしく思います。どのようなグローバル人財が今求められているのかというと、大きく3つ挙げられると思います。
1つ目は、「グローバルに国境を越えて活躍できる」ということ。体が国境を越えるということではなく、日本は島国だからこそ、常にグローバルを意識したマインド・セットを持って、ビジネスをする必要があるという意味です。
2つ目は、「特定の組織に属さない汎用性のある高いプロフェッショナルスキルをもった起業家的人財である」ということ。日本は起業家のようにインフラがないところから仕事を始めた経験のある人が少ないんですね。特定の組織のなかで仕事ができても、その人のスキルが特定の組織インフラに属したものであり、そこから移ると活躍できないケースが時々ありました。包丁1本でどこの料理屋さんでも通用する板前屋さんのような、汎用性の高いプロフェッショナルスキルが必要です。
3つ目は、「変革のための創造的問題解決を持った人財」であるということ。誰にも頼れないところで想定外の問題が起きたときに、自分の英知、経験をもとに一から考えて創造的に問題を解決することが、非常に重要な要件になっています。
こうした要件を全部満たす人は、日本では少ないということを日本以外の国のクライアントに理解してもらうのは大変でした。「1億も人口がいるのに、こういう条件を満たす人がいないんですか?」とよく言われました。

いま特に日本人に必要な資質は何ですか?
一つだけ挙げるとすれば「多様性に対応する能力」、つまりは、様々な価値観を持った人や、想定外の出来事に対応し、問題解決ができる力のことです。そのためには、「危機管理能力」、「コミュニケーション能力」、「創造的問題解決能力」が不可欠です。コミュニケーション能力と言っても、傾聴力だけでなく「説得力」が重要です。日本では聞くことの重要性は強調されますが、積極的に相手に分かってもらい、説得するという努力をあまりしません。たとえば、ビジネスを成功させたにもかかわらず、「いやぁ、部下がやってくれまして…」と謙虚に話す人が多いのですが、具体的にどのように指示を出し、ビジネスを進めたのかということをきちんと説明しなければ、相手にはわかってもらえません。自分がどう「二つのジリツ(自立・自律)」して対応したのかということを、きちんと説明できることが重要ですね。
グローバル人財に求められる「性格」としては、「ダイナミック且つエネルギッシュでカリスマ性があり、創造的で柔軟で敏捷性があり、前向きで積極的にリスクを取り、なおかつインテグリティが高い」、といったことが挙げられますが、外に出るエネルギッシュでカリスマ性があるダイナミズムはむしろ欧米的と言ってもよいと思います。性格はかなり国民性がありますので、ダイナミズムも内に秘めた日本的ダイナミズムもあります。日本人はまじめで礼儀正しく忍耐力があり、慎重でリスクを回避するといった性格があります。インテグリティの高さはとても高く評価されていますが、これらのすべて要件を満たすのは難しいかもしれません。

どうすればフクシマさんのようにチャンスを掴むことができるのでしょうか?
何かチャンスがきたときに常に自分が8割がたReadyでいることだと思います。Readyの状態にするには、まず準備、勉強をたくさんすることですね。たとえば、ミーティングに行く前には必ず議論する書類に目を通すようにする。会社の数字については押さえておく。「それって何ですか?」と聞かなくて済むようにすることで短期間でもついていけるようになります。シミュレーションもよく勧めています。たとえば自分が会社の上司だと想定し、部下に何をして欲しいかを考えます。ちょっとデータ入力作業を頼まれたときに、そのデータを上司がどのように使うのかを考えるだけで、ちょっとした工夫もできるし間違いも少なくなります。そのためには「作業」でなく、その作業の目的を把握した「仕事」をすることが大切です。そして、いろんなチャンスが巡ってくることを想定しながら仕事をすることが大事なのです。
大学生、特に自分のやりたいことがなにかわからない学生に対してメッセージをお願いします。
まず、焦らない方がいいですよ。何に向いているかはやってみなければわからないし、天職は天から降ってこないです。人が与えてくれるものではないので、自分でやってみること、そして一定期間は続けることで分かってきます。そして、一生懸命やることが大事です。私自身、サーチをやっているときは24時間体制で働き、サーチが天職だと思いましたし、日本語を教えているときも同様な働き方で、教育が天職だと思っていました。
「多様性対応能力」を身に付けるには、大学生のうちに、ぜひ外に出て、多様な文化や人や考え方に触れて頂きたいと思います。たとえば、日本国内でも留学生と多様な接点をもつことで経験できます。アメリカ人であるとか、中国人であるとかいうことは最初は意識するかもしれませんが、性別や国籍はその人の一個性であるとして考えると、お付き合いがしやすいですね。
大学を卒業すると、みなさん仕事を始めると思いますが、初めから自分が考えたような楽しさのある仕事はないものだと思っていてください。初めの3,4年は、ワークライフバランス等を考えず、たくさん働いて、自分の可能性、能力を広げておくのがよいと思います。

ご講演中のフクシマさん

私自身も、土日通して働いていましたし、みんなそうだったので特に何も思いませんでした。ゆっくりした仕事に慣れた人だとキャパが広がらず、スピード感に差がついてしまうものです。だから、若いうちはあまり自分を甘やかさないようにしたほうが、後の仕事が楽になり、ワークライフバランスが必要な頃には、短い時間で同じ成果が出せるようになると思います。また、会社は学校とは違い給料をもらって貢献する場ですから、「会社が育ててくれる」という考えは捨て、自己研鑽は自分ですべきです。そのために会社のプログラムは積極的に利用することは可能です。もちろんその間は、その会社に貢献しないといけませんよ。会社が機会を与えてくれることには感謝し、自分から育とうという姿勢でいましょう。常に「会社がしてくれない」と言っているより、前向きに自己研鑽をする人の方が成長は早いです。

編集後記

やわらかな雰囲気をもちつつ、エネルギッシュなフクシマさん。ずっとお話ししていたいと感じる魅力的な方でした。お話を伺って驚いたのは、大学入学時には今のような生活は考えていなかったということ。フクシマさんの場合、きっかけはアメリカでの日米学生会議でした。私自身昨年イギリスに留学し、キャリアについての考え方が変化したことも考えると、海外に行くことは、重要なきっかけづくりのひとつなのだと思います。しかし、本当にグローバルに活躍できる人になるにはもちろんそれだけでは足らない。地道な勉強の積み重ねと、今自分に何が必要か考えそれを達成していく実行力が大切だと感じました。自分の専門を極めつついろんなことに挑戦し、チャンスを掴みとっていきたいです。

白井 優美(先進理工学部3年)