Vol. 24「議論に謙譲の美徳は不要、知識を蓄え主張せよ」

CATEGORY : 国際機関
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ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)
前事務局長
松浦 晃一郎

山口県出身。東京大学法学部在学中に外交官試験に合格し、外務省に入省。経済協力局長、北米局長、外務審議官、駐フランス大使などを経て、1999年、日本人そしてアジア人初のユネスコ事務局長に就任。アメリカのユネスコ復帰、無形文化遺産保護条約、文化多様性条約などの実績を収める。現在、日仏会館理事長、株式会社パソナグループ社外監査役等。

【2013年3月14日公開】

自らの国際経験から見出した「グローバル人材」になるための10か条

40年間の外交官キャリアに続き、99年からは10年間ユネスコ事務局長と、常にグローバルな第一線でご活躍されてきた松浦様ですが、ご自身のキャリアを振り返り、国際的に活躍するためにはどのようなことが必要だとお考えになりますか。
外務省勤務の40年のうち、半分は本省の経済局や経済協力局、北米局などに勤務し、残りの半分はアフリカ諸国やアメリカ、フランス、中国などの在外公館で勤務しました。その後、選挙で当選し国際社会全体のことを考えてユネスコという国際機関の事務局長として働きました。こうした半世紀に渡る自らの国際経験で見出した、世界に出て自己実現するための「グローバル人材の心得10か条」を挙げたいです。
まず1つめに、大学でただ知識を吸収するのではなく、その知識を生かして議論することです。私は、グローバル人材育成において最も重要な役割を担うのは大学教育だと考えています。国際社会に生きるには、他者と議論したり自己主張したりしなければならない時が頻繁にあります。
2つめに、日本の歴史や文化をしっかり勉強することです。海外では1人ひとりの日本人が日本の代表として見られ、日本についてなんでも知っていることが期待されるからです。サブカルチャーも人気ですが、伝統的な日本の文化も大事にしてもらいたいですね。
3つめに、常日頃から外国に関心を持ち、異文化に対し理解を深めることです。ただ、まず自国の文化を理解して、それから異文化を理解してほしいです。
4つめに、国内問題について国際的な視野で分析し、それを日本史上のみならず世界史上の位置づけでも考えることです。そして1つめでも述べましたが、自分の考えを持ち、他者と議論し、切磋琢磨していくことです。
5つめに、国際言語となっている英語で外国人とコミュニケーションや議論ができることです。
6つめに、自分がこれから主として活躍の場にしたいと考えている国や地域の言語を習得することです。国際機関で働くには2カ国語以上話せることが求められます。
7つめに、自分の専門分野をしっかり持つことです。
8つめに、専門分野を持ちつつも、色々な問題に対応できる大局観を身につける必要があり、またその上でしっかり決断を下す力があることです。
9つめに、グローバル人材がそれぞれの組織でポストが上になり、部下を持つようになったときに、彼らを牽引する指導力を持つことです。私が事務局長を務めたユネスコ事務局は150か国前後の人が働いていて、皆文化背景が違いました。そのリーダーとして、異文化に対してしっかり理解し、異文化で育った人を引っ張っていく指導力が必要でしたね。
そして最後に、心身ともに健康であることです。日常からバランスの良い食事を摂り、適当な運動をすることが望ましいでしょう。
以上の10つのうち、特に1から5が大切だと思います。

「議論する場として大学が重要な役割を果たす」とのことですが、松浦様は大学時代をどのように過ごされましたか?
東京大学入学後は、水泳部の活動に熱心に取り組んでいました。なかでも、1年生の時の駒場祭(秋)で、水泳部の男子全員で水着姿でかっぱ踊りをし、冷たいプールに飛び込むというパフォーマンスをしたのは忘れられません。勉学の方は、2年生の後半から一般教養に加えて法律の勉強が始まりました。そして2年生の12月末から外交官の試験勉強を始め、3年生の時に受験しました。まさか一発で合格すると思っていませんでしたが、受験者約700名のうち合格者17名に入ることができました。
入省後、研修員として、アメリカのペンシルベニア州にあるハヴァフォード大学に2年間留学しました。ハヴァフォード大学は小規模な大学で、私が専攻した経済を学ぶ学生はたった15人しかいませんでした。この2年間は、授業の中でも外でもアメリカ人の学生とあらゆるテーマについて議論したものです。それが私にとって、しっかり自己主張することを体で学ぶ最初の機会であったと言えます。この経験は、後の外務省でもユネスコでも大変役に立ちました。
その点、日本の大学教育は弱いなと感じるのです。日本の大学は知識を吸収することに重点を置いていて、その知識を踏まえて自分の考えを持って議論する機会が少ないので、もっと議論をする機会を与える場であってほしいです。議論する際は、日本特有の謙譲の美徳は不要ですね。

ユネスコでの忘れられない経験

1999年11月から10年間、ユネスコという世界193カ国が参加する国際機関のトップを務められました。この間最も印象的だったのはどのようなことでしょうか。

ユネスコ事務局長執務室にて

アメリカがユネスコに復帰したことです。ユネスコ事務局長に就任した際、私は5、6年でユネスコの普遍性を取り戻すという中期ビジョンを打ち立てました。ユネスコが世界的な機関として動くには、世界に大きな影響を与えるアメリカとシンガポールの復帰が必要だったのです。
アメリカは1984年12月に、当時のレーガン共和党政権がユネスコの運営に不満を持ち、脱退を決めました。ユネスコが教育、文化、科学およびコミュニケーションの分野におけるグローバルな問題について議論し、その結果を実施していくにあたって、世界第一のアメリカがメンバーに入っていないということは大きな欠陥でした。
まず、アメリカが不満を持ち脱退に至った直接の理由を検証しました。
考えられた理由として、第一は、ユネスコが冷戦中に東運営側に与しがちだったことです。その結果アメリカから「ユネスコは政治化している」と批判されました。しかし東西冷戦の終了に伴い、この関係でユネスコが批判されることはなくなりました。
第二の理由は、1980年代にユネスコが新情報秩序を打ち出したことです。これは世界の世論が欧米のマスコミに支配されがちであることから開発途上国のマスコミを強化しようというものでしたが、アメリカからすれば、新情報秩序は報道の自由に反しているように思われました。
第三の理由は、ユネスコのミス・マネジメントです。不合理な事務局本部の体制、財政規律の欠如、在外事務所の乱立については、アメリカからだけでなく他のメンバー国からも批判されていました。
こうした検証の結果、私はユネスコの政治化の回避、報道の自由の確立、マネジメント改革に重点を置くことにしました。
また、当時のブッシュ大統領やパウエル国務長官にユネスコ改革に関する手紙を送り、外務省時代に知り合ったアメリカ人の友人を通じて、アメリカのユネスコ復帰を応援してもらうように働きかけを行ないました。
そして2003年にライス大統領補佐官がイニシアティブをとって、パウエル国務長官と2人の名前で「アメリカはユネスコに復帰すべき」という意見書をブッシュ大統領に提出し、大統領がそれを受け入れたという情報が入りました。実際、ブッシュ大統領の決定により、アメリカのユネスコ復帰が決まったのです。復帰するタイミングは2003年10月1日でしたが、ユネスコ総会が9月29日から始まることになっていたため、そのユネスコ総会初日にアメリカのユネスコ復帰の式典を行いました。この時が一番嬉しかったです。
大学生に向けてメッセージをお願いします。
現代の日本の国民生活は豊かで便利ですが、日本全体の経済は良い状況にあるとは言えません。そして、この状況はいずれ個々の生活にも影響するでしょう。また、今後も国際化が進み、経済的にも文化的にも、さらに他国との結びつきが深くなっていくと思います。日本企業内でも国際的な部署があったり外国人社員がいたりします。もはや日本国内だけを考えて仕事したり生活したりできる時代ではなくなりつつあり、日本は国際的に孤立して存立・繁栄し得ないのです。こうして日本が国際社会に緊密に組み入れられていく中で、私たちは世界的な視野を持って国際社会で生きていかなければならないのですが、最近の日本の若者は内向き志向であると聞きます。私はこの状況を心配しています。ぜひ、一人ひとりが国際的な感覚を養い、個々の生活、そして日本全体を良くするために、頑張ってもらいたいです。
編集後記

国際舞台の第一線で活躍された「国際人」の先駆者であり、まさに「グローバル人材」である松浦様。お会いする前は、勢いや強さにあふれている方かと想像していましたが、実際は穏やかな雰囲気で優しく語りかけてくださいました。50年間走り続けてこられたご経験や、日本の若者に対する期待や激励のお言葉から、内側に秘めたる情熱を感じました。ご経験に裏打ちされた言葉をかみしめ、私もがんばっていきたいと思います。

高橋 亜友子(文学部4年)