Vol. 27「汗にまみれるような早稲田力、行動力、情熱を持ち、人が嫌がることでも苦労をいとわないこと」

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早稲田大学理工学術院教授
藤井 正嗣

福岡県生まれ。早稲田大学理工学部数学科に入学後、カリフォルニア大学バークレー校へ留学、同校数学科および修士課程卒。帰国後、三菱商事株式会社へ入社。クアラルンプール支店マネージャー、米国食料子会社会長兼社長、人事子会社取締役人材開発事業部長、本社人事部国際人材開発室長、などを歴任。1999年にハーバード・ビジネス・スクール上級マネジメント・プログラム修了後、インド冷凍物流合弁会社エグゼクティブディレクター、グローバルイングリッシュ・ジャパン代表取締役社長などを経て、2004年より現職。

【2013年5月30日公開】

英語で数学を勉強、一石二鳥で思い立った留学

どのように英語力を身に着けられましたか?
小学3年生の時に、九州で生まれ育ち海外に一度も行ったことのない母が突然、「これからは英語が大事になる」と言い、中学生向けの英語学習塾に私を放りこんだんです。そこではただぼーっと座っていただけでしたが、それでも中学に入学した時には、すでに中学英語の教科書はひと通り終えていました。高校に入ってからは特に勉強しませんでしたが(笑)
大学に入学した頃は、早稲田の理工は1年目から専門の勉強をさせてくれるので、自分の専門性を深めつつ、他にも打ち込めることをしようと思っていました。昔から相撲が好きで強かったこともあり、武道にしようと理工の柔道部に入ったのですが、夏合宿で怪我をし、ドクターストップがかかってしまいました。どうしようかと思いながら当時住んでいた西荻窪あたりを歩いていたら、英会話スクールを発見したのでフラフラと中に入り、もう一度英語をきちんと勉強することにしました。やるからにはとことんやろうと思い、四谷にある日米会話学院の2年間のプログラムを受験、最初の一年半をスキップすることが認められ、半年で修了しました。その半年間は、数学の勉強に追われながら毎晩18時から21時まで3時間英語をみっちり勉強するというのは容易ではありませんでした。そんな時、「留学すれば、英語で数学を勉強するから、自然に両立できるじゃないか!」と思いつき、留学を考えるようになりました。
大学では柔道のほか、ESS(英語研究会)に興味を持ったのですが、劇のような決まったスクリプトを覚えて話すという勉強方法で英語に触れるよりは自分の頭で考えて話す方がいいと思い、NHKのテレビ英会話の教材で英語を勉強するサークルを自分で立ち上げました。その後早稲田理工の学生だけでなく、自分と同じようなことをやっていた東大・一橋・お茶大の人たちと「サンデー・セミナー」という合同の勉強会を開催し、今で言うインカレで活動していました。
サンケイスカラシップでの留学を志したきっかけは何だったのですか?
英語に対して意識の高い「サンデー・セミナー」のメンバーの間でサンケイスカラシップが話題になり、みんなで受けることになったんです。サンケイスカラシップ(注:現在は休止)は、アメリカに15人、フランスに10人、イギリス・ドイツにそれぞれ5人留学できる全額支給の奨学金制度で、試験は一次が英・数・国・社・理の筆記試験と作文、二次が過去の成績証明の提出、三次が英語と日本語による面接でした。当時は激しい受験戦争の時代で、厳しい競争を勝ち抜いて立派な大学に入った人たちが、さらにスカラシップを巡って競い合うという状況だったんです。アメリカへの奨学金の倍率は約100倍でした。大変な競争でしたが、運よくスカラシップをいただくことができました。留学先は、アメリカなら州立大学に限定されていたのですが、当時数学の全大学ランキングで一位だったカリフォルニア大学バークレー校に絞って出願し、合格することができました。
カリフォルニア大学バークレー校では、どのような留学生活を送られましたか?
学んだ数学のレベルは早稲田も高いとは思いますが、バークレーの数学科では、教えている教授もその世界で有名な方が多く、学生もMIT(マサチューセッツ工科大学)やハーバード大学、プリンストン大学出身の人や、インドから来た大変優秀な人が集まってしのぎを削っており、「なるほど、グローバルな競争とはこういうことなんだ」と肌で感じました。また、現地で受けた「問題解決」という授業では、Putnam Exam(全北米の大学生による数学コンテストで、例年平均点が1点という難易度の高さで知られる)で史上初の2年連続1位になったバークレー出身の方が先生でした。数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞の受賞に近いと言われていた人です。実際にフィールズ賞を受賞した先生もいらっしゃいましたし、そういった天才のような教授の方々から直に教えてもらう機会が身近にあるのは嬉しかったですね。私もバークレー代表として参加しましたが、早稲田での勉強が非常に役に立ったと思います。
卒業後の就職先になぜ商社を選ばれたのですか?
将来の職業を考えるきっかけになったのは、ロサンゼルスでNECの採用面接を受けた時でした。「どんな仕事をしたいか」と聞かれたので、「研究室に籠っているよりは海外でいろいろな人に出会い、関わりながら仕事をしたい」と伝えると、「それなら、商社じゃないんですか?」ということになり…。そのころからグローバルな企業に就職したいと考えていたのだと思います。
6月にバークレーを卒業してすぐ日本に帰ってきたのですが、その時期にはすでに日本の就職活動の時期が終わってしまっていました。念のため就職担当の先生のところを訪ね、今からでも受けられるところがないか聞くと、「ない。もう終わっている」と(笑)。それでは、と自分で探すことにして、キャンパス近くの公衆電話から自分の知っている会社に電話を掛けました。恥ずかしながらその時頭に思い浮かんだのは、三菱商事、三井物産、住友商事、日立、日本IBMの5社だけだったんですけどね(笑)。電話をかけた時も、その後履歴書を送った時も、連絡がすぐにあったのは三菱商事でしたし、面接で他社の選考も進んでいることを伝えると「大丈夫、うちが先に決めるから」と言ってくれました。面接を受けるにあたっては、アメリカで学んだことや、大学でも大学院でも勉強していた数学という科目が企業で働くのにどのように活かせるか考えました。一つは、集中と切り替えを学んだということ。特にアメリカの大学院はもの凄く勉強に厳しいので、朝から根を詰めて勉強した後、パッと30分くらいジョギングなどの運動をして、また勉強に戻るというやり方を会得しました。それから数学で身につけた論理的思考です。数学は論理的に物事を考えるためのトレーニングであり、商社にせよ、どこでも役に立つ能力だと認識していました。
三菱商事の選考は担当者の言葉通り、あっという間に進みました。内定をもらって、ミシガン大学ビジネススクールから帰国したもう1人の同期と8月1日に入社し、日本の大学生活に戻る間もなく働き始めました。後から聞いた話では、その前の年から三菱商事は海外の大学もしくは大学院を卒業した人を最大10人、またはその年の採用人数の10パーセントを上限に採用するという方針で、その年採用された2人のうちの1人となることができました。
三菱商事での勤務時代に、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)へ進まれたのはなぜですか?

ハーバード・ビジネス・スクールにて

あることがきっかけで経営を学ぶ必要性を感じたからです。私は積極的に海外で働きたいと思っていて、幸運にも三菱商事でグローバルな仕事に携わることができました。20年間食料を扱う間、マレーシアで5年間駐在し、さらに最後の4年間はアメリカのメーカーの社長をしました。そのメーカーは非常に業績が厳しく、社員をリストラせざるを得なかったのですが、いざリストラを実行すると、自分が解雇した副社長に「年齢差別による不当な解雇だ」ということで訴えられてしまったんです。その時は非常に苦労しました。私は年齢ではなく本人のパフォーマンスをもとに判断したので、法廷で闘う気でいて、社員も同感で私がもし法廷に立つのなら証人になると言ってくれました。しかし、「三菱」という名前は世界的に有名ですから、当然会社は悪評を嫌います。「組織の三菱」と言われるような会社において、現地事業投資先の社長が訴えられるということは前代未聞で、伝統ある会社の名を汚すという大変なことでした。ですから本社には「訴訟をするために君を送り出したんじゃない」と反対され、最終的には調停によって解決し、裁判にはなりませんでした。その渦中で私はアメリカの法廷で初めて勝つ日本人になるんだというある種高揚した気持ちでいましたが、それは今思うと蛮勇でした。セミナーなどで指導する立場になってからは、そういったケースで重要な意思決定をする場合は、人事部や弁護士など専門の人に相談するべきだと言っています。
私は渡米前に日本でチーム・リーダーを経験していましたが、アメリカではその経験があまり役に立たなかった。そのことから、三菱商事はグローバルに事業を行っているといっても、将来海外で経営者の立場に立つための社員教育が充分にできていないのではないかと思いました。そこで、取締役会で日本に出張した際、昔私を採用してくれた人事担当者が当時人事部長をしておられました(ちなみに、この方は早稲田の政経の出身で、その後副社長にまでなられました)ので、「専門性の高いトレーダーやマネージャーは育てているけれど、経営者としての教育はできていないのではないかと自分が経営者をやってみて痛切に感じた。だから経営者育成のための人材開発プログラムを作らせてほしい」と直談判したんです。それが認められて、アメリカから帰国後、もとの食料部門には戻らず人材開発に関わり、経営者になるための教育をするプログラムを導入しました。この研修制度を整えた後は、国際人材開発室長という、三菱商事に勤める日本人以外の社員を世界中から集めて研修をしたり、キャリアをサポートしたりする責任者の役割をしていました。その流れでHBSへ進んだのです。

タフなだけではやっていけない。強さと優しさの両方が必要

そういった商社でのご経験から、グローバル人材に必要な要件は何だとお考えになりますか?
商社の仕事は面白い分、タフです。海外との取引が多いと、時差を乗り越えて仕事をすることはざらだし、日本では想定不可能なことが起きても対応しなくてはいけない。ですので、メンタル・フィジカル両方タフである必要があります。アメリカのメーカー時代に年齢差別で訴えられた時、最初は受けて立っても勝てると思っていました。しかし、相手側や本社との折衝は気苦労が絶えず、日曜日に家にいてもこのことが頭から離れない状態が続きました。こういった局面でダメになる人もいるけれど、乗り越えられる人もいる。そういう修羅場を乗り切るタフな精神力は絶対に必要ですね。
ただ、タフなだけではやっていくことはできません。フィリップ・マーロウ(レイモンド・チャンドラー作のハード・ボイルド小説に出てくる探偵)のセリフに、「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格はない」とあるように、強さと優しさの両方が必要なんです。これは小説の中の話ですが、私の尊敬する上司から「『ウォームハート・クールヘッド』、つまりビジネスの意思決定はクールにやりなさい。しかしウォームハートを忘れてはいけないよ」と言われたことがあり、まさにそうだと思いました。こういった心境にはなかなかいたらないものです。本当に大変な思いをして苦労をしないと、弱い立場にある人や解雇される人の気持ちがわからないですよね。修羅場を経験したからこそ培えたんだと思います。

インド合併会社出向時_顧客企業の幹部と

修羅場の経験も必要ですが、経営についてきちんと系統的に学ぶことも大事だと思います。アメリカの後インドで担当したユニリーバとの合弁会社は、冷凍倉庫事業を開始したばかりで厳しい状況にあり、いかに再建するかが課題でした。資金が尽きるギリギリのところで、将来性はあるということで三菱商事が増資を引き受けたんです。そして初めての日本からの出向者として現地に向かい、インド人の社長の元でナンバー2のエキュゼキュティブディレクターを務め、再建に携わりました。新規事業で「新しいインフラをインドに作るんだ」という素晴らしいビジョンでしたが、なかなか大変でした。ただ、以前と違ったのは経営の知識があったことです。アメリカのメーカーの時は何をどうしたらいいのかよく分かりませんでしたが、インドに行く前にHBSで経営を学んでいたので、この時は何をすべきかが分かりました。

研究・教育職に進まれることを決断された理由は何ですか?
バークレーの大学院生時代にティーチング・アシスタントとして授業で教えた際、「教える」ことについて考え始めましたね。そこで、生まれてから教えてもらう立場しかほとんど経験したことがなかったと気づき、教える立場に初めてなり、学ぶことに対する考えが180度変わりました。また、生徒全員が英語ネイティブの中、1人だけ日本人である自分に果たして教えることができるのかと不安に感じ、当時教わっていた著名なアメリカ人の数学科の教授に相談に行ったんですね。すると「チャンスを生かすことが最善の選択だ、ぜひチャレンジするべきだ」とアドバイスをしてくれたんです。その時、人生の節目節目でアドバイスをしてくれる存在を持っているかいないかはとても重要だと感じました。そして、自分もその立場になりたいと思うようになりました。学ぶ側も、自分が「どういう人生を送りたいのか」ということを積極的に周りに見せていく。そうすることで重要なシーンでアドバイスをしてくれる存在に、巡り合えると思うんですよね。
さらに60歳を過ぎて、自分だけが成功するステージは終わったと思ったんです。次は、周囲にGiveする段階にきていると。早稲田に戻ってきて、自分の何十年も前の姿である早大生に、自分の経験したことで役に立つことやサポートできることがあればぜひやろうと思いました。そうやって次の世代のリーダーを育てる。これに勝る幸せはないんじゃないかと思います。自分の関わった人からどれだけ優秀な人、世の中を良くしてくれる人、リーダーになるような人が現れるか、それが今最大のやりがいです。
学生には海外に出ることを勧めていて、留学を希望すれば推薦状を書くなどをして応援しています。また、グローバルに活躍するためには一生勉強し続けることが必要だと考えているので、そのプラットフォームとして「早稲田グローバルリーダーズクラブ(Waseda Global Leaders Club)」というものを運営しています。早稲田を卒業したら終わりではなく、会社で働く中で問題に直面した場合に相談しに来られるような場としても考えていますし、グローバルリーダーを目指す人に生涯を通じた学びの機会を提供しています。早稲田の学生に限らず、企業で実施しているセミナーの受講者も含め、彼らが成長するのを見守っていこうという想いからです。

人のマネではなく、日本や世界を代表するようなオリジナルのリーダーシップを実行すること

藤井先生の考える、次世代のリーダーに必要な要素はどのようなものでしょうか?

アメリカEラーニング会社の幹部たちと

自分が勤める中で経験したことや、国内外で活躍している方、HBSで会った方々へのインタビューをケースにして将来活躍できる人材になるための要件をモデル化していますので、それを私の見解として紹介したいと思います。まず、受け身ではなく、自分から積極的に難しい問題にチャレンジして解決を図っていく「問題発見・解決能力」を持つこと。次に、コミュニケーション能力。プレゼンテーションでもネゴシエーションでも、日本語でも他言語でも、伝える力がないと、相手の人に自分が何を考えているかが伝わりません。日本はよくハイ・コンテクスト文化と言われ、お互いが共通して持っている概念が多いので、多くを言わなくても伝わるだろうと思って話してしまいがちです。しかし、世の中には全部話さないと伝わらない人もいるんです。ノルウェーやスウェーデン、フィンランド、デンマークなどスカンジナビアの国々などは一般的にロー・コンテクスト文化だと言われます。そういった例は、なにもスカンジナビア諸国に限らず日本でも十分あり得ますから、国内外関係なくどこで活躍するにしても必要だと言えます。最後は、企業に勤め、リーダーとして活躍したいのならマネジメントの基礎が必要です。MBAはマーケティング・ファイナンス・ストラテジー・アカウンティングといった要素で構成されていて、そのままつまり経営の基礎ですので、勉強すべきでしょう。ただ、こうした経営科目は実践していく中で徐々に身に付くものですから、勉強だけではあまり意味はないでしょう。
グローバルな舞台に立ちたいという人の場合、この他に必要な要件はありますか?
グローバルリーダーという言葉がよくあるけれど、世界に60億以上の人がいるのに、何をもってグローバルリーダーと称するのかよくわからないというのが正直なところです。ただ、私の考えるモデルの仮説としては、第一にカルチュアル・インテリジェンス(CQ=異文化適応力)、第二にオーセンティック・リーダーシップ(ホンモノのリーダーシップ)が必要です。オーセンティック・リーダーシップとは、その人オリジナルの、日本や世界を代表するようなリーダーシップということです。ジャック・ウェルチやスティーブ・ジョブスのようなカリスマになりたいという気持ちを持つことは悪くないと思うけれど、ただ人のマネをするだけでは、ホンモノではないんです。では、ホンモノのリーダーシップを身に付けるにはどうしたらいいかというと、修羅場経験ではないかと思います。人生でおきたさまざまな出来事という事実そのものではなくて、そうした出来事についてついてどう考えるかが重要なんです。修羅場経験の中で、あれは何が起きたのか、何が自分に足りなかったのか、何がそこから学べるのかを考えること。そこから得られることが、最終的に自分らしい、ホンモノのリーダーシップを身に付ける道につながるのではないかと考えています。第三に、専門分野の力です。ほかの人にはない自分の専門分野がないと世の中では活躍できないです。単に資格を取るといった話ではなく、他の人には負けない何かを持つことです。以上の要件があればグローバルリーダーになれるのではないか、というのが今の仮説です。
世界で活躍したいと思っている早大生にメッセージをお願いします。
早稲田の学生というのは他の大学生にはない良さがあると思うんです。昔はよく、「野人」とか「バンカラ」とか言われてましたけど(笑)、そういった、汗にまみれても何か最後まできちんとやり遂げるというような早稲田力、行動力、情熱などはもはやDNAだと思うんです。ぜひそれらを生かしてほしい。人が嫌がることでも苦労をいとわない、というような気持ちを持ってほしいですね。また、早稲田にはいろいろな人材がいて、多様性・ダイナミックさにあふれています。今の学生には、それを体現する生き方をしてほしい、多少大変なことがあってもへこたれないでほしい、そう思いますね。
私を支えた言葉に、「恒に夢を持ち 志を捨てず 難きにつく」という高柳健次郎さん(日本ビクター元副社長・技術最高顧問)の言葉があります。やはり夢と志を持ち、易しい道と困難な道があるときには困難な方を選ぶと考えて頑張ってほしいですね。
また、早稲田も素晴らしいところですが、若い感性がみずみずしいうちに様々な世界を見て、体験として積み重ねてほしいのです。同質や均質という中ではなく完璧に開かれた環境で、完全にオープンな競争をするという意味でも留学を勧めます。今はどんな会社に入っても少なからずグローバルな部分があり、避けては通れません。英語を身に付けたり、留学したりして損することは何もありませんから、ぜひ積極的にチャレンジしてほしいですね。
編集後記

「グローバル人材」といっても一概に定義できる言葉はないけれど、藤井先生はインタビューや実体験からケースやモデルを作ることで、体系立てて「グローバル人材」を構成する要素を考えていらっしゃいます。その内容は、実社会で得た知識や経験と、経営学といった学問的な知見を交えたもので、とても実践的かつ客観的な内容で、とても勉強になり、目からウロコの思いでした。
また、その知識を次世代を担う学生や社会人に共有することでご自身の経験を役立てていらっしゃり、私も、将来自分の成果を周囲に還元していけるような職業人になれたらいいな、と思いました。

田邉 理彩(商学部4年)