Vol. 29「他人と比較せず、対自分で判断し、自分だけの“生きる意味”を見つけてほしい」

CATEGORY : 民間企業

© Takahiro Igarashi(520)

株式会社 マザーハウス
代表取締役兼チーフデザイナー
山口 絵理子

1981年埼玉県生まれ。小学校時代にいじめに遭い不登校となる。中学時代はその反動で非行に走るが、柔道に出会い更生。埼玉県立大宮工業高等学校「男子」柔道部に唯一の女子部員として所属し、全日本ジュニアオリンピック第7位の成績を残す。2004年慶應義塾大学総合政策学部卒業後、バングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程に入学。三井物産株式会社のダッカ事務所でインターンシップを経験。2006年株式会社マザーハウスを設立。

【2013年7月29日公開】

米国でのインターンシップを経て強まった「途上国」への想い

どのような大学生活を過ごされましたか?
とにかく勉強をしていました。授業が難しかったので、ずっと図書館で授業の予習復習をしていて、基本的に一人ぼっちでしたね。それに、高校まで柔道漬けで、工業高校出身だし、「この人たちと対等に話していいのかな」というコンプレックスがありました。今思うと、もっと相談できる友人を作っておけばよかったなと思います。同じように大学で過ごしたゼミのメンバーたちと比べると、私は違和感があるものをなかなか受け入れられないタイプで、「なにか違うんじゃないかな」とか、「本当はこうなんじゃないかな」と思ったことは、実際に調べてみたり、見に行かないと気が済まないタイプでした。
4年生の時にワシントンにある米州開発銀行でインターンシップに参加されますが、そこではどのような経験をされましたか?
途上国に対して直接貢献できる仕事をしたいと思い志願したのですが、現地では最初から苦労の連続でした。決して英語が堪能ではなかったものの、それでも選考を通過し、晴れて行けることにはなったのですが、実際は電話を受けるにしても、会議で発言するにしても、とにかくすごく勇気が要りましたね。何をするにも人の倍くらいの時間がかかってしまっていたと思います。だけど、言葉を発してコミュニケーションをとらないと仕事は進まないし、英語に苦手意識を感じていちいち気にしていても仕方がないので、必要に迫られ、開き直ってやっていました。同じインターン生のアルゼンチン人とルームシェアをしていて、仕事以外の時間も日本語を話す機会がゼロだったので、帰国してから日本語が上手く出てこないほど朝から晩まで英語漬けでしたね。
米州開発銀行は中南米・カリブ海諸国の社会・経済発展の支援を目的にした、世界銀行に次ぐ規模の国際開発金融機関で、私はその中でも予算戦略本部に配属され、銀行全体の予算と、銀行内のプロジェクトへの予算の割り当てを上司と一緒に行いました。ただ、そういった業務を経験した後も「果たして自分たちの支援が現地に届いているのか」が、わからなかったんです。もしかしたら自分にはその実感がないだけで、本当は届いているかもしれないとも思ったけれど、自信がありませんでした。その小さな疑問は、どんどん大きくなり、雇用契約が切れる間際に「自分の将来の進路を決める前に、途上国への援助が役に立っているのか、自分の目で見てみなければいけない」ということだけは確かだろうと思いました。そしてインターン終了後、「アジア 最貧国」で検索して出てきたバングラデシュに、ワシントンから直接向かいました。
現地での援助の効果を知りたいという目的で訪れたバングラデシュで、大学院まで進学されたのはどうしてですか?
はじめは短期滞在のつもりだったのですが、簡単には答えが見つからず、滞在するにつれて「私にはもっと現地を見て、現状を知る時間が必要だな」と思いました。調べてみると、教育ビザを取得すれば現地に2年間滞在できることが分かりました。それで、BRAC大学院というバングラデシュで一番大きいNGOが運営している私立の大学院の開発学部に興味を持って、試験を受け、進学を決めました。
専攻の開発経済学の授業では、NGOや国際機関から派遣された先生たちから、援助とは何かを教わりました。現地で学んでみてわかりましたが、基本的に途上国の教育というのは20年くらい遅れているんですよね。教科書も内容の古いものを使っていて、パソコンは10台くらいしかないし、試験も「テスト範囲は教科書全部だから丸暗記してきなさい」というものでしたから、学んだ内容自体には正直あまり意味を感じられませんでした。最新の情報に基づいた教育という意味では先進国の大学院の質とは比べ物にならないですね。
大学院の授業は18時からだったので、夕方まで三井物産のダッカ事務所でインターンシップをしていましたが、そちらの方がもしかしたらためになったかもしれないです。たとえそれが単純な事務作業であっても、三井物産の方と何か一つの仕事を一緒にやり、色々な工場を見ることができましたし、何よりインターンシップの一環で訪れた現地の展示会で、ジュート(※)という素材に出会えたのが人生の転機になりました。


※麻の一種で、処理する際100%土に還るエコフレンドリーなバングラデシュ特産の繊維素材。主に、じゃがいもやコーヒー豆を入れる袋として使用される。

 

他人との比較や競争ではなく、自分らしい仕事をやっていこう

大学院を卒業して、現地で起業をするという決断をされるまで、悩みや葛藤はありましたか?
バングラデシュに行ってからジュートに出会うまでの一年半くらいは、米国でのインターン時代に抱いた「途上国への援助が役に立っているのか」という問題意識に対する答えが見つからずに悶々としていた時期で、自分の気持ちが固まらないまま他の学生と同じように就職活動もしていました。けれどジュートに出会ってからは、「この素材で、何か人々のイメージを覆すようなものができるんじゃないか」という想いが強くなり、やがて「今はただの麻袋でしかないこのジュートを、もっと付加価値を付けたファッションバッグにしたい!」という目標ができました。それからはまったく悩むことはありませんでしたね。「これしかない」と思い、もう突っ走るだけだった気がします。両親や教授も含めて、誰かに相談する意味もあまり感じなかった。迷いがあったら相談したかもしれないけど、相談して意志が変わるというレベルではなかったです。

© Takahiro Igarashi(520)

直営工場マトリゴールにて

起業後に「こういうことをやっているんだ」、「こういう夢があるんだ」っていうのは、周囲に伝えていましたが、返ってくる答えは「絶対不可能、無理だよ」、「もっと考えなさい」というネガティブなものばかりだったので、途中からそういう言葉の引力に引きずられないよう、周りに意見を求めるのをやめました。
事業が成功するかどうかや、失敗したらどうするかなども考えませんでした。「このゴワゴワしている麻袋がどうやったら可愛くなるかな」、「そうなったら本当に素敵だな」という想いが私の思考を支配していて、そのための方法を考えるだけでもう精一杯でした。
日本に帰ってきてから自分の起業話をすると、とても大きいことをしているかのように捉えられるんですけど、バングラデシュにいたらもっと大変なことがたくさんあるし、もっと懸命に仕事をしている人ばかりで、私自身そういう認識はありませんでした。本当に底辺の生活の中に二年間もいたので、自分が偉大なことをしているという意識はなかったんです。日本に帰ってきてメディアの人たちと接して、日本ではこれだけ価値のあるストーリーなんだと初めて知ったんです。

現地では文化的に違うこともたくさんあると思いますが、どのような点に苦労されましたか?
始めは、洪水やテロなど不自由な中でもきちんと生活していくという、現地の人にとっては当たり前のことが自分にとってはハードルが高く、大変でした。現在も日本の本社と現地工場を往復する生活をしていますが、現地で生活する中で苦労がない時はなく、常に色々なことが起こります。むしろ日本は特別だと思うようになりましたね。あらゆる面でこんなにも恵まれ、リラックスして街を歩ける方が特殊で、日常生活に危険がつきまとっている国や地域の方が普通だと思います。
起業してからは特に大変なことだらけでした。汚職率世界1位のバングラデシュでは、一市民でも日常のあらゆることに賄賂を要求されます。また、バングラデシュで一から土地を捜し歩きやっと立ち上げた工場で、作業中にパスポートを盗まれたり、ある日工場に行ってみたら、人もおらずモノも全てなくなっていたり…。大変な生活だったけれど、そのような、裏切られたり騙されたりしなければいけない生活を強いられているんだなと少しずつ理解するようになりました。もしその都度感情的になっていたら、途中で挫折していたかもしれないです。

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現地の工場を運営するのも、最初はもう失敗だらけで・・・たとえばバングラデシュは「相手のプライドを傷付けたら何も動かない国」だと思います。一方的に怒ったり、指示をしたり、或いは相手の権利に乗っかって何かを動かそうとすると、全然動きませんでしたね。生産を始めた当初、みんなの作業が遅くて、とにかく毎日怒ってばかりでした。しかし、そういう進め方をすると、さらに納期が遅れて、何も進まなくなったんです。そこで、うまくできた時には相手を褒めちぎるようにしたところ、みるみる内に作業がはかどるようになりました。彼らはすごく自尊心やプライドが高いので、むしろそこと調和するような形で指示を出していかないと難しい。何度も何度もそういった失敗をして、だんだんわかってきました。

バングラデシュに渡る前と後で、ご自身にどのような変化がありましたか?
大学四年生時の自分は、周りのみんなが就職活動をしてすごく良い会社に決まっていく中、私は本当にバングラデシュにいていいのかなとか、色々なことを誰かと比べて考えていたし、ジュートで鞄作りを始めた頃なんて、「この世界で2位になったらだめだ、1位でなければだめなんだ」という想いで、365日過ごしていました。でも、バングラデシュで生活していく中で、「自分が死ぬ時、誰かと比べて勝っていたら幸せに死ねるかって言ったらそれは絶対に違う。自分のやり遂げたいことをやり切ったから幸せに死ねるんだ。それって対自分でしかないじゃん」と思うようになりました。バングラデシュで洪水が起きると、何千人もの人が犠牲になります。実際に目の前で死んでいく人達を何度も見ました。そして、彼らを見て思ったんです。「彼らは隣の家より貧しかったと悔しがりながら死んでいるか」と。そういう本質のところをずっと問い続けてきて、自分との対話の先にあったのが、「もし何十年か後に、このマザーハウスが何十万円しか売り上げのない、ちっちゃなちっちゃなネットショップになってしまったとしても私はやっていこう」、「これこそ自分らしい仕事だ、誰にバカにされようともやっていこう」という強い思いでした。以来、「誰かと比較してどうのこうのっていうところで生きるのは嫌だな」と感じています。

“答え”はそんなに早く出ない、結論を急ぎすぎるな

自分の進むべき道を見つけるために、学生時代に学んでおくべきことは何でしょうか?
それぞれの価値観で考えて、自分にとって幸せだと思えることが見つかれば、それでいいと思います。それはもう、百人に百通りの選択肢があるので、何が正しいのかというのは自分で見つければいいと思います。
私の場合は、バングラデシュに行って、自分の「生きる意味」を見つけることができたので、それをやり続けるのが私なりの幸せの価値基準であり、大変だからって簡単にやめられるものではないんです。

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マトリゴールのスタッフたち

また、経営などの知識ももちろん必要だと思いますが、一番必要なのはビジョンですよね。それに、やりながら身に付く力やスピードの方が圧倒的なものがあると思います。私自身バッグを作ったことも経営を学んだこともなかったのですが、実際に作ってみると、「こういうふうにして、いろんな経費がかかるんだ。だから月の売り上げがいくら必要なんだな。そしたら最低これくらいは売らなければならないんだ…」と学んでいくわけです。こうやって体で覚えてやってきたので、今でも本はほとんど読まないですね。たまにあらためて工場運営の本を読んだりして、「あ、これやったことあるな」って振り返ることはありますが、それくらいです。新聞も読まないですよ、経営者なのに(笑)
マザーハウスは、大企業と戦って何とかやっていこうという方針ではなくて、むしろ会議では「それってマザーハウスしかできないことなの?」、「それってうちがやらなきゃいけないのかな」って6年間ずっとずっと言っています。それはつまりは、他の人がやっていないことをやることになるので、本には絶対書いてない。だから自分たちの頭を使わなければならない。すべてオリジナルなことをやりたいのであれば、もしかしたら答えは本じゃなく、自分の頭の中の創意工夫とかクリエイティビティから出てくるのだと思います。

最後に、学生にメッセージをお願いします。
マザーハウスが受け入れているインターンシップ生や新入社員の面接をしていて思うのは、「“答え”というものはそんなに早く出ない、結論を急ぎすぎていていないかな」ということです。急いで出した答えでは、それに向かって頑張ったとしても、ずっと続けてはいけないかもしれないし、一つのことも極められないと思いますね。私はこの7年間、デザイナーをやって、経営者をやって、それでもまだまだ何も見えてきていません。10年続けて何か見えたらいいなって、それくらいに思ってるんです。それなのに今の子たちって、店舗に1年立ったらお店のことが分かるって思っているんですよね。
「自分が本当にやりたいことを見つける」という作業は、本来はものすごく時間がかかるはずなんですよ。大学にいる4年間に見つけられたら本当にラッキーだし、それ以降もきっと見つめ続け、探し続けていくものだと思うんですね。その作業ってすごく面倒だけれど、あきらめずに続けて欲しいなと思います。日本は誘惑がすごくたくさんあるけれども、日記を書いて自分と向き合ったり、本当にこれやりたかった?と自分自身に問いかける作業は、面倒がらずにやって欲しいなと思います。
編集後記

「生きる意味」を見つけ、それに人生を賭けて取り組んでおられる山口さんの表情や言葉には全く迷いがなく、決意の強さをうかがい知りました。また、「比較対象は自分」という山口さん独自の価値観には、勝ち負けという尺度に囚われがちな思考から自由になれるように感じました。
「何のために学び、何のために生きるのか」という問いかけは、何歳になっても、人生に行き詰った時、進むべき道を照らし出す明かりになることと思います。自分で切り開いた道を前へ前へと進む山口さんの背中が、今はとても遠くに見えますが、私も、問いに対する「答え」にいつかたどり着けるよう、そこへ続く道を一歩一歩前に進んでいきたいです。

R. T.(商学部4年)