Vol. 32 「多様性を受容しつつ、自社の価値観を伝達・浸透できる人、それが企業におけるグローバル・リーダー」

CATEGORY : 民間企業

アスパイア・インテリジェンス社 代表取締役
リップシャッツ 信元 夏代

早稲田大学商学部卒業。ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネスにて経営学修士(MBA)取得。早稲田大学在学中にはミズーリ州セントルイス市のワシントン大学へフルスカラシップ奨学生として1年間交換留学。1995年に渡米後、伊藤忠インターナショナル・インク、マッキンゼー・アンド・カンパニー、Eisner LLP を経て、2004年にアスパイア・インテリジェンス社を設立。「戦略コンサルティング」や「組織開発コンサルティング」のサービスを提供し、ブランドとビジネスの戦略設計と実現に寄与。

【2014年1月30日公開】

留学経験のある友達を見て、かっこいいと思った

留学したいと考えたのは、いつ頃でしたか?
多分、高校生の時だったと思います。中高一貫の女子校に通っていたのですが、高校時代に留学をする友達が周りにいたんです。それで1年経って帰国すると、彼女たちがちょっとした時に、“Ouch!”とか言うんですよ。それを見て、かっこいいなと思って(笑)。また、もしかしたら、潜在的に父の影響で海外に興味を持っていたのかもしれません。父は自動車部品メーカーの創業者で海外を飛び回っていましたし、よく外国のおみやげを持って帰ってくれました。「海外は遠いものじゃない」という意識があったのかもしれません。でも高校生の時は、英語はあまりできないし、一人で生活する自信もなかったので、自分の中で留学にチャレンジできるという“納得感”が持てるようになってから行きたいと考えていました。そこで、大学生になってからトライアルという感じで、オーストラリアへ1ヶ月の短期留学をしました。
オーストラリアへの短期留学を経て、次の長期留学はどのように決意されたのですか?
そうですね。実は、オーストラリアで彼氏を作って帰ってきちゃったんです(笑)。内緒ですよ(笑)。そうしたら、両親が「お前はもう外にやらない!」と激怒してしまって。でも私は反対されると火がついてしまう性格というか(笑)。ならばやってやろうじゃないか!とハングリー精神に燃えた私は、交換留学のテストに向けて猛勉強しました。選考で選ばれ、さらに全額奨学金が出る交換留学プログラムで早稲田大学の代表として行くのなら、こんな名誉なことには父も反対できないだろうと思って、ワシントン大学セントルイス校の交換留学プログラムを目指しました。勉強の甲斐あり、ワシントン大学に行けることになったのですが、本当は選考の時点ではTOEFLの点数が少し足りなかったんです。それで選考の面接のときに、「留学するときまでには、スコアをクリアします!」と宣言したら、選考に通ってしまいました(笑)。「合格させていただいたのだから、約束した点数は取らなければ!」ということで、合格後も意地で必死に勉強し、最終的にはスコアを基準値以上に上げることができました。

つらい経験こそが次につながる

ワシントン大学での留学について詳しく聞かせてください。
初めは大変でした。2日に1回は泣いていましたね。ディスカッションをしながら進行するクラスがあったんですが、全然ついていけなくて。しゃべれないから、しゃべらない。しゃべらないから、しゃべれるようにならない。という悪循環に陥っていました。そんなある時、寮のパーティーで、あるアメリカ人学生から酔った勢いで「何で夏代はしゃべらないんだ?」と言われたんです。本人は冗談半分で言ったのですが、それは私がその時最も気にしていることだったので、私は皆の前で号泣してしまったんですね。そこから周りの目が変わりました。英語では”Ice break”と言いますが、まさに氷が解けたようになって、彼らとの溝が少し縮んだんです。しゃべりたくても、しゃべれない。そんな私の気持ちを理解してくれたのでしょう。彼らから話しかけてくれるようにもなったし、私の方も「話してみようかな」と積極的に話すようになりました。

また、冬休みに一人でアメリカ国内旅行をしたんですが、雪で飛行機が飛ばなくなってしまうことがしばしばありました。そうすると自分一人で対応しなければいけませんから、否応なしに英語を使わざるを得ない状況になって。一度は翌朝まで飛ばない、ということがあり、冬休みで閉まっているキャンパスに一人で運転して戻り、セキュリティーの人に説明して寮のドアを開けてもらい、誰もいない寮でたった一人で一夜を過ごしたこともありました。そんな冬休みが終わったら、「あれっ?私、自然と英語が出てくるかも...!」というレベルに届いていました。つらい経験こそが次につながるんだなと強く感じましたね。

MBAの取得を目指されたのは、いつ頃でしたか?
ワシントン大学留学中にビジネス専攻の友人ができ、その友人からMBAというものを聞いて興味を持ちました。そしてまず、ある有名校のアドミッションオフィスに電話してみたんです。「あなたの学校に興味があるのですがどうやったらMBAを取得できますか?」と。今考えたら無謀なことをしましたよね(笑)。そしたら、「勤務経験を4~5年積んでから来て下さい」と言われました。ならばアメリカで勤務経験を積んだら近道なのではないか、と考え、幸いにもニューヨークでの採用が決まったので、卒業後すぐにニューヨークに渡りました。働きながら勉強していましたが、GMAT対策が大変でした。根気良く7回くらい受け続け、満足のいく点数まで上げていきました。また、ビジネス・スクールに入るためには、プレゼンをして自分を売りこむことも大切なんです。採用官のオフィスの外で待っていて、彼女が出てきたら「偶然ですね」という感じで話しかけ(笑)、練習してきた1分間スピーチで自分をアピールしました。そんな甲斐もあってか、その翌日、ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネスから合格の電話がかかってきたんです。

リスクはチャンスだと考える

MBAを取得された後、マッキンゼーなどを経て起業されたわけですが、信元さんの背中を押したものはなんですか?
早稲田の先輩ですね。もともとビジネス・スクールに在籍していたころから、漠然と起業したいと思ってはいたんです。副専攻で起業について勉強しましたし、ビジネス・コンテストに参加したりしました。でも、具体的に何をやるかは考えていませんでした。起業を見据えて、いくつかビジネス・プランを書き留めていて、ある時に稲門会にいらっしゃった先輩に「こんなことをしたい」と相談しました。そしたら、「じゃあオフィススペースが必要でしょう。一緒にオフィスシェアしようか?」と提案してくださったんです。彼なりの「起業してみたら?」というメッセージだったと思っています。そんな先輩のメッセージに背中を押されて、起業の第一歩を踏み出しました。
そして見事、起業されたわけですが、業務においての失敗談はありますか?

もちろん沢山ありますよ(笑)。例えばこんなことがありました。コンサルタントとして雇って頂いた後に、クライアントがやろうと思っている方向性と、分析結果から私が提案した方向性が少しずれていたんですね。彼は「僕はこの業界の経験がある」という自負があり、譲りませんでした。そこで彼に理解してもらおうと、分析結果を元にして詳細をさらに論理的に説明したんです。そしたら彼は「君にそんなことを言われる筋合いはない」と激怒し、感情的になって私を解雇しました。これは“コンテクスト”(意志疎通の共通知識)の違いに私のコミュニケーション方法を適応しきれなかったことが失敗の原因だったと思っています。つまり彼は、いわゆる“お役所”出身のエリートで、雇う側と雇われる側、目上と目下、などの間の権力格差は当然で、相手が自分に従うという環境に慣れてきた方でしたし、“ハイコンテクスト(お互いに相手の意図を察しあうことで、なんとなく通じてしまう)”文化の中でずっと仕事をされていました。その彼が、「雇われた側」の「目下」の私に分析結果を直接的な表現で説得されたのですから、もしかして私の意見が正しいと思っていても、名誉が棄損されたと受け取ったのでしょう。異文化によるコミュニケーションスタイルの違いがどれほどビジネスに影響するのか、を実感した経験でした。

ニューヨークで起業された信元さんは世界でご活躍されていますが、信元さんの考える“グローバル人材”について教えてください。
あえて定義するのなら、グローバル人材とは「地球規模の最適化を常に考え、国や文化を超えた人々を束ねて変革や革新を実現する人」だと思っています。「地球規模の最適化を考える」とは、地球全体をリソースとして考えて人材を世界中から集めたりなどと、地球全体で考えた時にどういうことが最適化につながるのかを考えることです。さらに、企業におけるグローバル・リーダーは「多様性を受容しつつ、自社の価値観を伝達そして浸透できる人」です。「文化」と一括りに言っても、儀式のように目に見える部分と価値観のように目に見えない部分がありますし、「文化」には、国家や地域、職業や個人などで様々なレベルがあります。そしてその「文化」によって人々の行動は変化するので、文化間におけるギャップが生まれ、誤解も発生してしまいます。そのギャップを埋める為に、相手の発言を自分の言葉に変換したり、ジェスチャーやアイコンタクトをしながら聞いたりとアクティブ・リスニング(積極的傾聴)をすることが大切です。このアクティブ・リスニングとファシリテーションのスキルによって、コンフリクト(対立・衝突)をコンセンサス(合意)に変えるのが、グローバル・リーダーに必要な能力だと思っています。
最後に、グローバルに活躍したいと考えている早大生へのメッセージをいただけますか?
海外で働くのは、リスクがあるかもしれません。でも、リスクを取らなければチャンスもやってきません。私は「リスクはチャンス」だと考えています。海外に出て、失敗やつらい経験をすることもあります。でも、何でもうまくいくよりは、つらい経験こそが自分の実になると思います。また世界に出ると、日本は特殊な文化を持っていると感じます。つまり、日本の常識は必ずしも世界で通用するわけではないということです。皆さんには、旅行やホームステイなど短期間でも良いので、なるべく複数の国に行って異文化体験をしてほしいです。そして、視野を広げて、将来はグローバルに活躍してほしいなと思っています。
編集後記

信元さんはニューヨーク在住で、お忙しいなか、帰国された折にトーク・セッションとインタビューに応じてくださいました。起業家だけでなく、競技ダンス選手という一面もお持ちの信元さん、「これからも競技ダンスはずっと続けたい」と笑顔でおっしゃっていたのが印象的で、趣味の時間も大切にして、充実された生活を送られているのだなと思いました。リスクはチャンス。リスクを回避しがちな私にとっては、とても身に染みるお言葉でした。時間がたくさんある学生の間に、海外に行ったり留学生と交流したりして、できるだけたくさんの異文化体験をしたいと思っています。

町田 花菜子(商学部2年)