Vol. 6 「グローバルに活躍できるのは”英語使い”ではない。”話すことがある人”である」

CATEGORY : 大学
Takano-Sensei

早稲田大学客員教授
高野 孝子

新潟県生まれ。エジンバラ大学Ph.D。(特活)エコプラス代表理事、早稲田大学客員教授、立教大学特任教授。90年代初めから「人と自然と異文化」をテーマに、地球規模の環境・野外教育プロジェクトの企画運営に取り組む。「地域に根ざした教育」の重要性を掲げ、「TAPPO南魚沼やまとくらしの学校」事業を実施中。龍村仁監督の環境ドキュメンタリー「地球交響曲第7番」に出演。

【2012年1月17日公開】

「こう生きねばならぬ」ということはないと気づいた学生時代

学生時代のどのような経験が今の活動につながっていますか。
大学は当然行くものだと思っていたので進学したけれど、自分の意思で選んだわけでもないのに大学まで来たことに気づかされたのが、大学3年から4年にかけて行ったアメリカ留学でした。親がちゃんと環境を整えてくれたからここまで来られたのですごく幸運だったけれど、中学を出て、自分は職人になるという道もあったはず。でも、それを問うことさえもなく、中学を出たら高校、高校を出たら大学と来てしまったことにハッとしました。たぶん留学しなかったら、そのまま普通に就職していたと思います。留学先で出会った人のうちに泊まり、他人の人生に顔をつっこみながら旅をしたことで、ものすごくいろんな生き方があって、「何をやって生きてもいい、その代わり自分で責任をとれば」ということがわかったのです。「こう生きねばならぬということはないんだ」ということを教わりましたね。既成概念にとらわれていた自分に気づき、次第に自分が自由になっていきました。帰国してから、人が決めたレール、生き方にまた自分を合わせてしまうのがこわいと思っていたころに出会ったのがオーストラリアでの「オペレーションローリー」というプロジェクトでした。青少年育成を目的に、国際遠征の日本人参加者を募集していたのです。電気もガスもトイレもない環境で、世界から集まった若者とともに3ヶ月間様々なプロジェクトに取り組んだことで、「人は最低限これで生きていけるんだ」ということを学び、今までできなかったことができるようになりました。そのスキルを持ったことで、今までにはなかった選択肢が広がりました。大学院を終えて新聞社に就職しました。でも、旅先が街じゃなくて自然の中に向かい、自然の中で暮らす人に会いに行くようになりましたね。
既成概念にとらわれた生き方をしたくないと気づいたとき、私たちはどう判断すべきでしょうか。
まずは、今想像しているものが、本当に自分で考えたものなのか、思わされているものなのかを少し仕分けなければいけないと思います。時代や社会、家庭、個人の状況によっては、それ以外の選択肢がないという場合が絶対にあります。でも、可能性があるはずなのに自分でそれを見ていないのはもったいない。自分は本当に、自分で食べる以上のお金を稼がなくてはならない環境にあるのかどうかというあたりから、自分を見つめることですね。例えば、家族に病気の人がいるとか扶養しないといけない人がいるとか、そういう理由があるとしたら、何よりも先にそっちが大事ですけど。でも、みんなが元気で、自分がここからふっといなくなっても、とりあえず迷惑かけないという状況にあって、「自分を試していいよ」ってみんながサポートしてくれるなら、どんどんやってみたらいい。「自分で自分に枠をはめない」っていうのが大事だと思っています。

本当の豊かさ、幸せを考える場をつくってきた25年

高野先生は「冒険家」と呼ばれていますが、冒険と旅行はどのように違うのでしょうか。
私には全部、旅行ですね。旅行っていうか旅。それが冒険的だったりするだけで、自分にとって新しいことは全部冒険で、行ったことないところにいくのは冒険だと思います。やったことがないことをする、食べたことがないものを食べるとか大冒険だと思いませんか?「こんなの食べて大丈夫?」とか。それは旅の面白さですし、知らない人に出会うのもそういうところに身を持っていくのは冒険です。アマゾン河をカヌーで下るとか、北極点にパラシュートで降りるとか、そういうことは冒険活動に見えるんだけれど、私がアマゾンにいったのはそこの人に会いたいからだし、カヌーで旅するのも面白そうですよね?そうしないと会えない人たちがいるから。だから、「冒険活動」をしたくて行ったことは今まで一度もないです。ただ、北極海の横断というのは旅っていうにはちょっと大事すぎたけれどね。「あんな旅しないでしょ」っていう感じですよね。でも、だいたい人のいるところに行くことは私にとっては旅だし、たとえ長期でも旅ですね。人が見せようと思うものに乗っかってそれしか見られないのは、若い人には残念かなって思います。若いときは何もないけれど、時間だけはある、お金はないけど時間はあると思うのね。だから、そういうときじゃないとできない、他人が見せたいと思うものじゃない隅っこをつついてみたり、絶対会わないような人に会ってみたりする方が面白いんだと思います。何かものを見に行くわけじゃなくて、やっぱり体験にいくっていうか、時間と場所そのものを体験するのが大事なんじゃないかな。
どのような思いがあって、環境教育の場を作ってきましたか。
小さい頃からおしゃべりだったし書くのも好きで、自分がやったことや気づいたこと、考えたことを人と共有することが好きでした。大学院修了後に新聞社に入ったのも、大切な情報を人に知らせる仕事をしたかったからでしょうね。自分の経験から大事なんじゃないかなと思うことがあったとき、「これって大事じゃない?」って人に聞いてみたい、伝えてみたいのです。それと同時に、伝えることはとても大事なことだと思っています。こっちが勝手に情報を伝えても、「いらない」という人も、受け取ったとしても「ん~まぁ別に…」という人もいると思います。それはそれでいいと思っているんです。でも、差し出してみないことには何も伝わらない。その人がまったく見たことがないものなのか、一回手にとってみて考えることがあったのかで変わってくると思っています。だから、そういう経験ができる舞台を作っています。その経験を分かち合いたいと思った人は、今度は自分の言葉で分かち合ったり、気づいたことをもとに職業を選び直したりするでしょう。どんな職業につくにしても、人と助け合うことは大事なんだとか、人は最低限これがあれば生きていけるんだとかわかっている人が、たとえば商社や銀行、役所で勤めることで、社会が変わってくると思うんですよね。現場の人への見方とか世界観とか。その後何をやるかは個々人の問題になりますが、こういったところに踏み込むことが大事だと思っています。たとえば、最終的には「豊かさって何だろう」ってことや自分の可能性に気づいてほしくて、プログラムを組み立てていますね。最近は都会に住んでいると、若い子でもあまり身体を動かさないでしょ。ジムではなく、自然の中で空気を思いっきり吸い込む感じとか、そこで身体が活性化するときに脳とか心も活性化する、みたいな経験があまりないんじゃないかなって思います。だから、そういうことの気持ちよさとか、同時に人間ってなんてちっぽけなんだということとか。それは感覚的に知らなきゃいけないことだと思うので、自然を体験できる活動はいい場所だなと思っています。
「本当の豊かさ、幸せとは何か」という問いが、活動の根幹にあるのですか。
20代前半の旅を通して、なんとなく自分の豊かさと幸せについては見えていました。お金は幸せを生まない、友達の大切さ、人としてどうあるべきか、人はモノじゃない、自分の価値をどう高めていくかが豊かさであり、人とつながれること、つながれるだけの力をもてるということ、健全な自然が周りにあるということ。そういうことが豊かさにつながるということですかね。何がなくても「人と自然」だと思うけれど、他の人はどうなんだろうって思っていました。私は経験を通してそういうことに気づいていましたが、そうじゃなかったら、モノをいっぱい持って、お化粧して、ブランドがどうとかそういう話ばかりして、それで面白いから「それって本当に大事なのかな」って問い直すことさえもしなかったです。それでも、問い直すようになったのは、旅をしたからです。本当の幸せとか豊かさを自分が知りたいというよりは、他の人たちもいろんな経験をしたら、本当に大事なものとか本当の幸せって何だろうって考えるようになるんじゃないかって思いました。その方が日本も豊かになるし、みんながそういうことを考えるようになれば世界の悩んでいる問題も少しはよくなるんじゃないかなという思いがありました。今まさにこういうことを考えることが大事じゃないかなと思います。
なぜ、今「豊かさ」や「幸せ」について考えることが大切なのでしょうか。
先進国といわれている産業国がぼろぼろになりつつあるでしょ。結局、お金っていうものの幻想の上に成り立っていた社会とその人たちが今ぼろぼろと崩れようとしています。だから、今まさに本当の豊かさって何かを問わなければならない。10年くらい前までは、先進国の人々が、それを問うことで格差を縮めていけると思っていました。先進国の豊かさは開発途上国と言われる人たちの搾取で成り立っていったわけだからね。消費者一人ひとりが「こんなにお金がなくても豊かって言えるんじゃない?」とか、豊かさに対してそういう見方ができるようになれば、世界中のギャップが少しは解消するんじゃないかと思っていました。でも、今は先進国の人々がぼろぼろと崩れようとしている中で、彼らが価値観を問い直さない限り、大きな不幸に陥ってしまうと思います。お金ではなくて「生きる」ってどういうことかとか、それに必要なものをみんなが認識しないといけない。まさにそれがこれからを決めるかなって思っています。東日本大震災のときもそうでしたが、あの中でちゃんと生きられるというのは本当にお金じゃないんですよね。そういうときに、一番底にある大事なものが見えてくるんだと思います。それは、やはり絆だと思いますし、そういうときに自分がどう行動できるかっていう強さとか知恵とか技術とか…最終的には人と人との信頼関係がないと奪い合いになってしまうんだと思います。そういう、いろんなことを考えさせられましたね。だからこそ、今がまさにそういうことを考え直すチャンスだと思いますし、私はずっと問い直すきっかけを作ってきたので、これからも続けていけたらいいなと思っています。

何も話すことがない人はグローバルに活躍できない

グローバルに活躍したい学生は、どのような経験をすべきだと思いますか。
たくさんあると思うけれど、学生のうちに地を這いずるような貧乏旅行をしておいた方がいいと思いますね。とにかく体一つで世界中を歩くこと。別に世界全部に行けという意味じゃないけれど、いろんなところにいって、暮らす人の目線で旅をするということかな。大きなホテルに泊まるのではなく、できれば民泊がいいですね。「すみません、お願いします!手伝いますから」って頑張って現地の人に頼みこんで、できるだけ暮らしの目線でものを見ながら旅をする。そこのものを食べて、生活の場所を歩いて、そこの暮らしをするってどういう意味かわかるくらいの時間をかけつつ、旅をすることですね。都市ばかりに行かなくていいので、先住民族とか農村とか、都市に行くならスラムもあわせて行くとか、いろんなところを見るっていうのが大事だと思います。たとえ全部見ることができなくても、いろんな場所の暮らしを体験できれば想像できるので、気になっている場所にいって、そこで様々な体験をして、できるだけ広い視野を持つことがすごく大事かな。
広い視野を持つために、他にはどのようなことをするといいでしょうか。
あとは、やっぱりいろんな本を読んで、「自分で判断する視点」を養うようにすることですね。これって難しい。報道の乗ってくることは、実は偏っているんですよね。だから、一言で言うと、視野を広げるという意味で、多様な情報に接するっていうことかな。ひとつの問題に関しても、複数の立場の意見を読んだり聞いたりするようにするとか。それってグローバルに活動するために大事ですよね。あとは、いろんな人の話を聞くことかな。とくにグローバルに活躍したい人は、まずは日本を知らなければいけないと思うのね。だから、沖縄から北海道まで農山村とかをあちこち行ってみて、そこの人たちといろんな話をしてみる。そして、世界の話も聞いてみる。話を聞きながら旅をすることが役に立つと思います。
なぜ「日本を知る」ことが大切なのですか。
日本のことを知らないから外に出られないという意味ではありません。私も順番が逆でした。普通の人は、たぶん自分の周りのことは当たり前だから興味がなくて、見えないところに行きたくなると思うんです。私もそうだったんだけれど、とにかく外に興味がありました。でも、外に行くとまず自分の説明をしなくちゃいけない。「あんたは何者なの?」って聞かれるけれど、説明できない。日本のこともあれこれ聞かれるけれど、わからない。このような経験をすることで、自分がいかに自分のことを知らなかったのかということに気づきました。そうやって、日本にも興味を持つことは普通だし、私もそのパターンなのね。だから、最初から興味がなくてもいいから、そのうち日本についてとか、特に自分が生まれ育った場所とか地域とかそこを中心にしたことを調べて知る。それって、実は自分のアイデンティティにもつながるし、自分が生きていくうえで、どこで活動するにしても基盤となるものなので、大事にした方がいいと思うんです。「グローバルに活躍する人」というのは、「英語使い」という意味ではなく、「何か話すことがある人」ということだから。その人が誰で、何ができる人なのか、何をした人なのかだから。私がもし日本から代表する若者をシンポジウムに呼んでくれって言われたら、英語が全然できなくても、太鼓が叩ける人を出したい、もしくはごはんをちゃんとお釜で炊ける人を出したいって思うのね。その人の方が話すことがあるから。なので、自分をどこかの時点できちんと押さえるのは、グローバルに活躍するうえで大事だと思っています。
NPO法人エコプラス
http://www.ecoclub.org/top.php?lang=ja
  • オペレーションローリーの仲間たち

    オペレーションローリーの仲間たち

  • 1991年北極海横断途中、北極点にて

    1991年北極海横断途中、北極点にて

  • ミクロネシアヤップ島での実習授業

    ミクロネシアヤップ島での実習授業

編集後記

私は、今年の夏、高野先生の指導のもと、環境教育活動に参加しました。山の中で「電気なし、ガスなし、トイレなし」の環境で自分の身一つで生活したとき、本当に大切なものが見えてきました。安全快適で、どれだけ恵まれた環境で育ってきたのかという事実に気づいたと同時に、自然に感謝する心を忘れていたことにハッとしました。普段頼っていた指一本でつけられる電気やガス、そして携帯電話やインターネットは、実はそれほど大切ではないかもしれない。そして、水道をひねると水が流れてくるまでのプロセスは、普段気にかけていなかったけれど、実は大切だったということ。自然の前では人間は本当にちっぽけなのだということを忘れ、傲慢になっている自分がいました。自然と向き合うことは、まさに自分と向き合い、価値観を問い直すことでした。今回のインタビューを通じて、高野先生が自然教育活動を通じて、私たちに伝えたかったことがあらためてわかりました。そして、今度は世界や日本と向き合うことで、自分と向き合おうと決意を新たにしました。世界で活躍することができる「自分」を確立しようと思います。

西辻 明日香(商学研究科1年)